きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

20170502

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子どもと一緒にサクラを見た。
桜、じゃなくてサクラ。
でもわたしの気分としては桜を見ていたし、子どもも桜を楽しんでいたなぁ。
それで良いんかなぁ、いちおうわたしもプロとしてお金もらってるんだよなぁと思いつつ、今日はそれでよいことにした。
みんなでたくさんの桜をおみやげに持って帰った。
いい日だと思う。

4月が暮れてゆく

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一ヶ月が経って、ようやく3月までの自分といまの自分が繋がってきたようなかんじ。
やさしい校長先生が「ザワザワしちゃうの残念だね」と言ったとき。
児童集会が出来レースのつまらないものだったのに、まわりの先生が「この学校意見がたくさん出るねぇ」と褒めたとき。
子どもの「学校でちゃんと勉強できれば宿題はいらない」という意見を担任の先生が一蹴したとき。
先生の「あいつは人としてはいい奴だけどなぁ」という子どもへの愚痴を聞いたとき。


そんなとき、わたしはやっぱり苦笑いしてる。
「わたしはそうは思わないんですよね」って言えない。言わない。


わたしの中にも先生たちと同じ思いがある。
子どもをコントロールしたいって心のどこかで思ってる。
それが悔しい。
人と人として、すべての人に相対したい。先生と生徒ではなくて。先生と先生ではなくて。〇〇所属の誰々さん、ではなくて。

肯定することを諦めない

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天然パーマをイジられているひとがいて、
「おい、やめろよ。嫌がってんだろ」と言うひとがいた。
わたしは彼が他人につよく当たるのを見て、ちょっと嫌なきもちになったりしていた。ごめんね。


「うちのクラスにも転校生こないかなー」
「こないよ。うちのクラス、ダメなクラスだからさ」
っていう女の子。
ごめんね。騒がしいクラスって思っていて。どうにかならないかなぁ、なんて考えてしまって。


肯定することを諦めない。
いつまでも、いつまでも、諦めない。

ちいさな変化を

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茶碗を買った。
たまたま出会った場でたのしく過ごせて、たまたま出会ったひとが自分がつくった陶器のよさを嬉しそうに話してくれたから「買おう」と思った。


「陶器は吸収性があるからすぐに洗ってくださいね」
と言われて、洗い物を溜めるのをやめた。
大事にしたいものを持つということは、自分のなかにちっちゃな変化を生み出すことなのだなぁ。

毎日をたのしく

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たのしさというものは、丁寧につみあげてゆくものなのだなぁと思ったり。


「全ては自分から」
「肯定することを諦めない」
憧れているひとのことば。
お仕事だけでなくて、毎日のくらしにていねいさを落とし込んでゆきたい。

なんでもない毎日を

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今「生活を整える」ということを意識的にしている。
ごはんを作ること、美味しいなぁと思って食べること、床を拭いたりすること、道端の花に目をとめること、ていねいにコーヒーを淹れること、山が日ごとに違う姿を見せることに気づくこと。
いま起きている一瞬一瞬をしっかりと感じること。
そうしていると「あぁ今、生きてるなぁ」と思ったりする。
生きとし生けるものに思わず感謝したりする。


川上未映子さんの
「こう、なんてゆうの、人生を生きることはすんごい特殊なことではあるけれども、一方、実は、この人生、そんな大したことでもなんでもないのかも知れないとゆう姿勢をね、『かも知れない』とゆうこの姿勢をね、ちゃんと持っておきたいのだなあ。」
というエッセイのことばが心に残っていて、結局のところ愛おしいのは人生の「なんでもない」部分なのだなぁと思う。
人間がつくった文明の利器に乗って毎週末地元へ帰る。遠い距離を縮めてしまうスゴイ機械。
毎日のお仕事では人に何を教えるか、なんて大層なことを考えたりしてる。
でも、わたしの人生の大部分はごはんを食べたり、風景を見たり、大昔から人がやってきたなんでもないことでできている。
そんななんでもないことが、一番だいじだなぁとか思ったりするのだ。