20170515
べつにいいじゃん、みたいなのを大事にしたいなぁという気分。
今日子どもの雰囲気が全体的に悪かった気がするけどべつにいいじゃん。
毎日たいして勉強できなくてクッキーとか焼いたりしちゃったけどべつにいいじゃん。
なんか疲れ気味でしっかり子どもと関われなかったけどべつにいいじゃん。
同じ職場のひとにかるーく批判された気がしてちょっと落ち込んだけどべつにいいじゃん。
こういう日もあるし、たのしいこともあったし、べつにいいじゃん。
20170514
日曜日。雨上がりの朝。新緑。
サイコーだなぁ。
他人に素直に気持ちを伝えること。
心の襞を一枚はがしてみること。
そういうちっちゃくて大きい勇気は確実にだれかへ届くのだなぁと思う。
「あなたが大切にしているものは?」より「あなたが諦めたくないものは?」のほうがよいインタビューなのでは、と言っているひとがいた。
わたしが諦めたくないものって何だろう。
肯定することを諦めない?
かなぁ。
だれかの行為を。自分の気持ちを。
もちろん批判精神だって大事にはしたい。けど、けど、肯定することは諦めたくない。
諦めないって思ってないと、すぐ否定をしてしまう。
すぐにだれかの行為を悪く解釈しちゃう。
すぐに自分の気持ちを襞の中に閉じ込めちゃう。
否定すべき行為も気持ちも何もない。
肯定してからどうするかのほうが、ずっとずっと大切なのだと思う。
20170512
「結局、なんのためにやってるんだっけ?」
その問いに戻ってくるようにしよう。
もし学校から先生が消えてなくなって、子どもと校舎と教材だけが残ったらどうなるだろう?
そちらのほうが余程子どもを成長させる?幸せなれる?
学校の先生は何のためにいるのだろう。
子どもは日々何を学校で得ているのだろう。
何を失っているのだろう。
何度でも何度でもていねいに考える。
20170507
旅先で見る夕焼けも、都会で見る夕焼けも、田舎で見る夕焼けも、大好き。
太陽も植物も毎日ちがうし毎日そこにある。
東京のど真ん中を歩いていたらむわっと草のにおいがして、地球はほんとうに緑の星なのだなぁと思った。
遠くに行ったから気づける身の回りのよさがある。
だいじなものは手を伸ばさなくたってそこにある。
20170430
4月の最期の日。
とりあえず一ヶ月を過ごせたことに安心しつつ、なんとなく頭の中が整頓されていない。
今年も拾った梅を瓶につめた。
頭じゃなくて心で生きることができたらよいなぁと思う。
肯定することを諦めない。
4月が暮れてゆく
一ヶ月が経って、ようやく3月までの自分といまの自分が繋がってきたようなかんじ。
やさしい校長先生が「ザワザワしちゃうの残念だね」と言ったとき。
児童集会が出来レースのつまらないものだったのに、まわりの先生が「この学校意見がたくさん出るねぇ」と褒めたとき。
子どもの「学校でちゃんと勉強できれば宿題はいらない」という意見を担任の先生が一蹴したとき。
先生の「あいつは人としてはいい奴だけどなぁ」という子どもへの愚痴を聞いたとき。
そんなとき、わたしはやっぱり苦笑いしてる。
「わたしはそうは思わないんですよね」って言えない。言わない。
わたしの中にも先生たちと同じ思いがある。
子どもをコントロールしたいって心のどこかで思ってる。
それが悔しい。
人と人として、すべての人に相対したい。先生と生徒ではなくて。先生と先生ではなくて。〇〇所属の誰々さん、ではなくて。