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きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

ひとは言葉でかんがえる

暗記が苦手。
暗記といっても、英単語を覚えたり、日本の旧国名の位置を覚えたり、そういうことではなくて。試験勉強だったらむしろ数学のほうが嫌いだった。
じゃあ何が苦手って、文章を覚えることが、それはもう下手だなぁとつくづく思っています。


漱石を読んでいると、登場人物が、あの本にああいう言葉ありましたねぇ、なんてさらっと漢文とかを暗唱したりします。いったい、本を読んだ時に覚えよう、と思って覚えるのか、自然と覚えてしまうのか。つくり話とはいえ凄い。
現実にもそういう人は沢山いて、やれフーコーだのフロイトだの。なぜ文章を丸ごと覚えているのか、不思議でなりません。
わたしの知人には漫画の長いセリフを抑揚つけて暗唱できる人や、最近読んだ面白かった本をその中の一文と共に紹介してくれる人もいて、そのたびにわたしは、凄いなぁ、と尊敬しているわけです。
わたしは大好きな本でさえ、一文丸々覚えているものはないし、短歌の31文字でさえさっぱり覚えられません。
自分が作った歌も多分暗唱出来ない。


そういうわけで、昔は何で覚えられないんかなぁ、と思って本に線を引いてみたり、メモをとったりしたけれども、読み返すのに役立つ以外は、さっぱり効果がありませんでした。
こればかりはもうどうしようもない、のかもしれない。
羨ましいけど仕方がない。


これから文章を書いていくにあたって、エッセイでも読んでみようかなぁ、と思って、とりあえず川上未映子さんの『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』を読んでいます。
300ものエッセイが詰め込まれていて、大半は読んだそばから忘れられていきます。何が書いてあったか、覚えているのはいくつくらいだろう。
まぁ、エッセイなので、他人の人生なので、事細かに覚える必要もないでしょう、とさらさら読んでいますが、文章は残らなくとも、文体というものは、読後もつよく残っているもののようです。
今日のごはんなんだろう、っていつもなら心の中で考えている言葉が、今日のごはんなんやろ、になる。
あかんあかん、って思ったりする。根っからの関東人なのに。
あまり意識していないけれど、今書いている文章にもすこし影響しているのだろうな、と思います。
自分の中の言葉が、考えるときの言葉が、読んだばかりのエッセイの文体に支配されている。
不思議なことに、自分の頭じたいは何も変わっていないのに、自分の中の文体が違うだけで、何かいつもと違う考えが生まれるんじゃないかって、思えてしまいます。
自分の中に文体が残っている、そのわずかな間だけ、世界がすこし変わって見えるような気になったりします。


もう、書いてあったことはほとんど忘れてしまったけれど、これは幸せな読書体験だなぁ、と思いながら、今電車に揺られています。
読書の醍醐味って、こういうところにあるのかもしれない。
わたしもいつか心地よい文体を手に入れたいものです。