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きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

琴を弾く女

乞食のうちに顔かたちのととのったひとりの女の目くらが琴をひいてるのがあった。まだ今のように琴というもののゆきわたらないじぶんのことで、伯母さんは乳母とよくそのうわさをして昔のお旗本か、さもなくば御殿奉公でもしたもののなれのはてにちがいないといっていた。彼女はききとれないほどつぶれた声で琴歌をうたう。琴爪が糸のうえをさらさらころころとすべってゆくのも、雲のようなもくめのある胴のうえに雁の形の琴柱がちらばらに立ってるのもみな珍しく美しくみえた。
中勘助銀の匙』p.48
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中勘助が自らの幼少時代の記憶を綴った物語を読んでいます。
かの漱石も認めたというこの作品。ほんとうのことと、作った物語が交差して、きれいな言葉で語られています。
明治から大正期に書かれたということもあって、登場する子どもの遊びや樹木の数々、おもちゃなどの小道具のひとつひとつが、懐かしい宝物のように思える点も魅力的です。
物語性にはあまり富んでいないですが、ちいさなエピソードの数々が、写真をクリップでとめるみたいに心に残る、おもしろい本だと思います。


そんな本から、上の箇所を引用しました。
幼い「わたし」が縁日で出会った、というよりも、一方的に見て心にとめた琴を弾く盲目の女。
平仮名の使い方、比喩、擬音語、とてもきれいな文章です。
「雁の形の琴柱がちらばらに立ってる」
たしかに琴の柱は、音程を変えるために、様々な位置についていて、ばらばらしているし、弦を引っ掛けるために鳥の形をしています。
ただそれだけのことが、「雁」にたとえて「ちらばら」と書き表すことで、妙なさびしさを生むような感じがします。
雁の群がかたまりすぎず、ぽつりぽつりと飛んでいる姿が想像されるからでしょうか。
そのさびしさは、もちろんひとりで琴を弾く、目のみえない、満足に食べられていない女に返っていきます。
伯母さんたちの噂話によれば、彼女は昔は多くの人に囲まれて、ゆたかに暮らしていたかもしれない。
けれど、今はただひとりで琴を弾いている。
そういった要素のひとつひとつが組み合わさって、うつくしく響く文章が出来上がるのでしょう。


比喩は勉強しがいがありそうです。
文章の世界を二倍三倍にする力を持っています。
確かな知識と思わぬ発想を必要とするので、なかなか大変そうではありますが。