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きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

2013年まとめ2

本を買うという行為が好きです。
たいして読む時間もないのについ買ってしまう。
本屋に行くことも好き。
新刊が平積みにされているのを眺めたり、買う気もない雑誌をぱらぱら読んでみたり、実用書や写真集の棚の側を歩いてみたり。
図書館も好きだけど、歩いていて楽しいのは本屋です。
並んでいる本の全てに、わたしのものになる可能性があるからかな。
わたしは本を自分のものにして手元に置くことが楽しいタイプなので、読みたい本は買ってしまうことが多いです。
読むだけなら図書館で借りれば安上がりだし、図書館の本というものも時間を感じさせて魅力的だとは思いますが、やっぱり読み終わった本を自分のもとに残しておきたくなります。
そういうわけで本屋、とても楽しいです。
本屋で本を買うことも楽しいです。
毎日行く地元の小さな本屋も、大きな町にある大きな本屋も、旅先で入った慣れない本屋も。
本の置き方もそれぞれで、毎日目に付く本も違って、いつまでも飽きない良さがあるなぁと思います。
昔読んだ本で、人と待ち合わせをする時には必ず本屋にする。どちらが遅れても退屈しないし、むしろ話のネタが増えるから。と書いていたエッセイがあって、誰の本か忘れてしまいましたが、それいいなぁと思いました。
ハチ公の前で待ち合わせるのと違って、いつまででも人を待てそうだし、むしろちょっと早めに行ってわざわざ人を待ちたくなるような気がします。


あまり読書にのめり込んできた人生ではないですが、改めて本について考えると、けっこう言葉が出てきます。
先日書いた、昨年のまとめも意外に長くなってしまいました。
今日は昨年の本以外のことをすこし思い出してみようと思います。


◯行ったところ
3月の頭に岩手の平泉と花巻、お盆の頃に香川の屋島と広島、年末と年始にアラスカに行きました。


平家物語とその周辺の話が好きなので、平泉には義経とその家臣たちが命を絶った場所を見に行きました。
まあ、有名な義経の死や弁慶の立ち往生は『義経記』の物語なので、想像の世界のはなしではあるのですが。
物語の舞台を見に行くことは大好きなので、実際に亡くなった場所でなくても全然構わない、むしろ楽しいと思って行きました。
何故だか、義経が自刃した時は真冬で、衣川には雪が降り注いでいる、というイメージがあって、平泉は冬にいこう!とずっと思っていたので、3月のまだ寒い時期に行けたのは良かったです。


平泉にはお城やお寺の跡地が多くて、民家の中にある広大な更地の端に石碑だけがぽつんと立ててありました。
その何もない静かな場所に立って、歴史や物語というものの淡さを感じました。
昔の大きな戦などなかったかのように、周囲には穏やかな普通の家々があって、想像力を働かせなければ、そこで何があったか感じることが出来ない。
義経は本当にここで死んだかもしれないし、全く違うところなのかもしれないし、もしかしたらモンゴルにでも行ってしまったかもしれない。
本当のことは何ひとつ分からなくて、ただ石碑やお墓やお寺、物体だけが何も語らずにただそこにいる。
その分からなさの中では、歴史や物語はほとんど力を持たないんだなぁと思ったりしました。


平泉の次の日には花巻に行って、宮沢賢治記念館を見てきました。
冬の岩手に行きたいと思ったもうひとつの理由は、宮沢賢治の「永訣の朝」が好きで、詩の中にある「雪と水のまっしろな二相系」を感じたかったことです。
花巻はとても静かな場所で、雪がうず高く積もっていて、空気を吸い込むと体が少し透きとおる気がしました。
至るところに沢山の雪があって、とても柔らかくて、最期の食べ物としてぴったりだなぁと思ったり。
花巻、すごく素敵な場所でした。



どうしても文章が長くなってしまいますね…。
推敲もせずにだらだら書いているからだと思いますが。
とりあえず今日はここで終わりにします。