きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

性根場を生姜湯に空目

【正念場】
正念場は「性根場」とも書き、本来「正念」は仏教語で、悟りにいたるまでの基本的な実践目得『八正道(はっしょうどう)』のひとつ。
『八正道』にある「正念」を除いた残り七つは、「正見」「正思惟」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正定」という。
正念とは、雑念を払い仏道を思い念ずることで、正しい真理を思うことを意味し、修行の邪魔となる雑念に乱れない信心も意味する。
そこから、「正しい心」「正気」が必要な場面を「正念場」と言うようになった。
(語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/si/syounenba.html)


集中することは思考を止めることだと、最近読んだ本に書いてありました。
森博嗣さんかな。どの本だか忘れてしまったのだけど。
集中することで得られるものって大きいのだと思うし、だからこそ学校教育で集中力は重宝されている。
集中して勉強しなさい、集中して本を読もう…。
注意力散漫で、いつも何か別なものを気にしていて、横を向きながら何かをすることは、効率が悪いから、まるでいけないことのように言われます。
けれど、集中すること、ひとつのものを真剣に見つめることは、他を無視することです。
他にあるものを考えないようにすること、思考を無理矢理止めてしまうことです。
集中することは一概によいことと言えないんじゃないかなぁ。


今わたしは、正念場にあるんだなぁと思って、何とはなしにグーグルで「正念場」を引いてみました。
仏教の言葉なんですね。知らなかった。
正しい真理を思う、雑念に乱れないような信心、という仏教らしい意味ももともとはあったようです。
ここぞという正念場、集中して臨むことはとても大事で、だから雑念はなければないほうがいいのでしょうか。
雑念、客観的な目、ふと我に返る時間、力を出したい時に必要なのはそういうものじゃないのかなぁと思いつつ、どうしても思考が止まりがちな毎日です。