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きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

みどり

スケールの大きな夢から覚めた朝は、現実と夢との境界線を探すのにいくらか時間を使う。
あれは本当のことだっけ、いま夢でみたことかな、いややっぱり現実だ、などと考えているうちにまた寝そうになる。でも寝てしまったら最後、見たばかりの夢が永久にどこかに埋まってしまいそうで悔しいから、しぶしぶ身体を起こす。
それでも、やっぱり夢は失くなってしまいがちだから、思いついた時に書き溜めておく。


今年の初夢もスケールの大きな話だった、というよりも妙に現実感があって、かつ長い夢だったから、境界線がすごくあやふやになった。
わたしは夢の中でもバイオリンを弾いていて、練習のある会場までバスで通っていた。
練習のある会場は、大学とも何処とも分からない、現代風の白くて大きな建物で、吹き抜けが沢山あるせいか、やけに開放感があった。いたるところに観葉植物とは思えないくらいよく繁った植物が植えられていて、清潔感のある白い建物の中で、緑の匂いだけがする。
経緯はすっぽり忘れてしまったけれど、わたしはバイオリンを何処かに失くしてしまって、持ち主の分からない楽器を代わりとして借りていた。
楽器はともかく、ケースが古びていて、持ち歩けそうになかったから、自分の楽器ケースに、代わりの楽器を入れていた。古びたケースは白い建物の、事務所ような所に置きっ放し。自分のケースに他所のバイオリンを入れて、毎日バスで白い建物に通う。自分の楽器を失くしてしまったのに、都合よくケースだけ出てくるところが夢だ。
あ、白い建物は音大だったかもしれない、色々な楽器の音が聴こえていたような気もする。
そして一足飛びに、失くなっていた楽器は見つかる。わたしが勝手に借りていたバイオリンの持ち主も見つかって、一件落着、お昼ご飯でも食べにいこうと思ったら、現実でも見知っている友人に声を掛けられた。
今度4人でやることになっている谷崎潤一郎の発表、何やる?近現代文学は馴染みが薄いし、もう時間もないから谷崎が訳した源氏物語の葵の巻でもやろうと思うんだけど。友人は少し焦っていた。
わたしは谷崎の作品も好きだから、そっちでやりたいな、と思いつつ口に出さない。(その時思い浮かべた作品はなぜか川端康成の片腕だった)
何をやろうかな、谷崎作品に登場する植物のまとめと考察とか、面白そうだな。発表まであと何日だっけ。
そう思いながら昼食に向かっているうちに目が覚めて、必死で発表の日時を思い出そうとするも、そもそも発表する予定などなく、はっと思いついて自分のバイオリンの安否を確かめる目覚めの正午。
日はすでに登りきってもう下りに入ろうかという頃、窓際にあるわたしの布団に暑く照りつけ、楽しみにしていた駅伝はすでに往路5区。目の前のテレビで夢よりも情熱的な現実が繰り広げられていました。
話の舞台がとても素敵な白い建物で、ずっと緑の匂いがしていたせいか、そんな目覚めも快適で、こういう初夢もありだな、と思う一年のはじまりです。
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夢のなか緑を胸に吸い込んでぐっと吐き出す、ここが現実