きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

わたしたちは一緒に笑う

先日、マーティン・マクドナー原作、小川絵梨子監督の「スポケーンの左手」を見てきました。
演劇人による舞台を見るのははじめて(アイドルの舞台は見たことがありますが)。
蒼井優さんが出演している舞台を見てみたかった、というのも観劇デビューを決めた大きな要因ではありますが、もうひとつ、決め手がありました。
それは、「ナマモノ」を体感する重要性を感じるから、です。


わたしたちは、ややもすると一人で楽しめてしまう時代に生きています。
本も漫画も山ほど出版されるし、映画もドラマもインターネットで見放題、スマートフォンでネットサーフィンをすれば、無限大の知識と楽しみを得られます。
わたしはこれまでの人生、そういった一人遊びで充分満足していたんですね。
というより、今も一人遊びが一番好きです。


でも、世の中は一人遊びでは得られない能力を沢山要求してきます。
わたしが目指してる教職だってそう、スタバのバイトもそうだし、そもそも人付き合いを楽しむことは、一人遊びとは180度異なる力を必要とするんです。
それは、「場」を楽しむ力。
みんなで一緒に笑ったり泣いたりすること。


一人遊びは、一人で行うことなので、スタートラインは一人で考えることです。
本もドラマも、人形遊びと同じ、そこにあるのは一人の世界。わたしだけの楽しさ。
一方、「場」を楽しむ、ということは自分以外の楽しさや悲しさを受容することです。
落語家が笑いを取るとき、役者がうまくアドリブをしたとき、オーケストラが音楽を奏で終わった後の拍手までのちょっとした間。
わたしたちはみんなで笑い、みんなで感嘆し、みんなで深く感じ入ります。
それは意図したとしてもしないとしても、わたしではない、「みんな」に迎合することを必要とします。


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自分の好きな時に笑って、好きな時に泣いて、飽きたらやめて、それでいいじゃん。
それが、現代の風潮で、しかるべき傾向なのだと思います。
個性、多様性、特性。それは本当に大事。
でも、わたしたちは間違いなく、類人猿から連なる社会的な動物で、共感を必要とする生き物です。
「みんな」で楽しむことが出来なくなったら、わたしたちは何になるのでしょう。
みんなで楽しむ、そんな「場」づくりを見習えたら良いなぁと思って、たくさんナマモノに触れようと思うのです。
もちろん観劇や寄席、ライブや演奏会、どれも理屈をこねる以上に楽しいのですが。