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きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

納得のあれこれ

継続的にブログ書きたいなぁと思ってもなかなか上手くいかないですね。
春休みに入ったからぼちぼち書けるといいなぁ…。
ということで勢いで書く。


納得には2種類あるらしいんですね。
論理的納得と感情的納得。
その名の通り、論理的に正しいねという形と、実感として腑に落ちる形。
例えば、平和は大切だとこれまでの歴史やら道徳規範やらで納得するのと、平和の大切さを実感できるのは別問題だということ。


この2つのどちらもがそろうことで、世の中は動いていくのだと思うのですが、
あえて感情的納得の大切さについて考えてみたい。


今年の4月に障害者差別禁止法が施行されますね。
行政や企業はいっそう機会の均等に努める必要が出てきます。
「機会の均等」、この考え方に異を唱える日本人ってそうはいないと思います
けど、じゃあ、感覚として納得しているか?というとちょっと微妙なところで。
なぜなら機会の均等はサービスの不平等だから。
性別関係なく安心して電車に乗れるようにと作られた女性専用車ですが、サービスとして考えると不平等と考えることもできる。
このあたりを、しっくりしたいなぁと常々思っていたんです。


今日、定額小為替を買いたくて郵便局に行ったんです。
そしたら並ぶ列を間違えてしまって。
で、案内役の男性の方が正しい場所まで誘導してくれて、必要な書類を用意してくれました。
世の中の多くの人は案内なしで定額小為替を買えるので、わたしのしてもらったサービスは人より多いことになります。
けど、そのことに文句を言う人はいないんじゃないかなぁと思ったんです。
郵便局の使い方に慣れた人も、慣れない人もいる、そんなの当たり前だから。


そのとき、機会の均等ってこういうことなんだなぁと思ったんです。
感覚として、納得したんです。


多様な世の中、互いに合意しあうためには、己の感覚に囚われない論理的な話し合いが必要です。
でも、己の感覚では納得できないのだろうか?と常に自らの経験を反芻することも大切なのかもしれません。