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きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

とりあえず言葉にすること

まだ学生で、アルバイトやボランティアという形で子どもに接していても、「難しい」と思うことが沢山。
毎日のように子どもと関わるプロなら尚更だろうなぁ。
難しくてよく分からないことも、とりあえず言葉にすること。
アウトプットはインプットの呼び水!そう信じて今日もブログを書きます。


ここ数日、久しぶりに気になっているのは「共感」について。
共感する能力って、種の繁栄のために生み出した哺乳類の知恵なんだそうです。
生き残りのために集団で生活する哺乳類は共感能力を使うことで、集団としての能力を高める。
結果として、高い共感能力は種の繁栄に繋がる。


だから、「共感」って思っている以上に身体的なもの。

p107
相手が目に見えない場合でもなお、他者がどう感じるかを私たちにほんとうに理解させるのは、想像力頼みの共感でないことは明らかだ。(略)共感を駆り立てるのは想像力ではないことを念頭に置いておくといい。他者の立場を想像するのは、冷めた行為で、飛行機がどうして飛ぶかを理解するときと似ていなくもない。共感は、何よりもまず、情動的な関与を必要とする。(略)身体的なつながりが先にあって、それに理解が続くのだ。
フランス・ドゥ・ヴァール『共感の時代へ』



今日、授業で知った金森俊朗さんの実践も共感をベースにしたものでした。

p93
離婚や虐待といった問題は、子ども本人や教師の努力では解決できないことも多い。両親が離婚したという現実は変えられません。でも、この苦しみに共感して、寄り添ってくれる人がいれば、人間は生きていけるのです。
金森俊朗『「子どものために」は正しいのか』



金森さんのいう「共感」と、身体的な「共感」
この二つは同一のもの?
どちらもこれナシでは生きていけないという点が同じ。
生き残りを懸けた能力。


金森さんの教室では、泣いて笑うことが「共感」へと繋がっていました。
泣くこと、笑うことは身体的な動作。
やっぱり両者は同じかもしれないなぁ。