きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

ふたたび多様性

ずっと引っかかっていた「多様性」という概念。
みんな、それは良いものと言って憚らないけれど、本当にそうなの?と感じていました。
例えば隣の部屋に越してきた人が、毎日早朝から大声で祈りの言葉を唱える文化を持っていたら、誰でも少しは嫌だと感じるのではないか、と。
それが異文化なのだ、と心で認めることは出来ても、身体は受け入れないのではないか、と思ってきました。


それでは、多様性ってただ受け容れるしかないもので、良いものではないのだろうか…そうも言い切れない。


なにかヒントになるものはないかなぁと思案していたら、以前読んだ『種の起源』の文言を思い出しました。

p204
形態が多様化するほど生物の生息数も増えるという原則

生物は細かな変化を重ね、多様な種族を生み出すことで、自らの種を後の世に残していきました。
海の中では生きられなくなった時、猛毒である酸素を取り入れて存命する新たな種が生まれ、生物はいっそう繁栄することになったのです。
多様であることは、「今ここ」がぽしゃっても、別な場で生き残るための戦術。
生物にとって多様性は生存をかけた術であったわけです。


ひるがえって我々人間。
自分たちひとりひとりの「今ここ」はちょっと危うい。
日本にも世界にも問題が沢山。
そんな私たちの「今ここ」がぽしゃった時の生き方、とは。