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きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

説話的ってどういうこと?

p217
説話によって人が支配されていることを相対化し、批評することの上に近代小説が成り立っていたことを、我々は忘れてしまっている。だから物語が因果律として人を支配することがありえない、もしくはとても変なことに思える。そんなこと出来るわけないと。しかしそのように感じるリアリティー自体がじつはとても近代的なのです。
大塚英志物語消滅論



メディアを騒がすゴシップ、熱愛報道、目を疑う犯罪とそこへの注目……
耳目を集める事件の裏には、大きなニュースがある、なんて陰謀論まであったりしますが、我々は恋愛と犯罪の話には、とりわけ飛びつきやすい生き物のようです。
柳田國男も「世間話の研究」の中で、明治時代の新聞がいかにゴシップに偏り、前時代的で「説話的」であり、好奇心をくすぐるだけのものであるかを述べています。


中世から近世にかけて御伽草子というジャンルの物語が多く生まれます。
その内容を研究者はいくつかに分類してきました。
その中で幅を利かせているのも、恋愛モノです。
御伽草子の中には源氏物語平家物語など、既存の物語に素材を求めるものがありますが、それらの素材を元に構成された話の内容は、より恋愛に偏り、よりドラマチックに仕立て上げられています。
それが当時の興味に沿うものだったのでしょうか。


「説話的」である、ということはどういうことでしょうか。
中世、近代、現代と続く、恋愛や犯罪、ゴシップへの興味。
その興味をぴったりと満たす「オハナシ」である説話。
なぜ私たちは説話的なものに興味を持つのか、考えたいと思います。