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きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

秩序の維持に必要なこと

p141
ランダムの中から秩序が立ち上がるというのは、実にこのようにして、集団の中である一定の傾向を示す原子の平均的な頻度として起こることなのである。
(略)
生命現象に参加する粒子が少なければ、平均的なふるまいから外れる粒子の寄与、つまり誤差率が高くなる。粒子の数が増えれば増えるほど平方根の法則によって誤差率は急激に低下させうる。生命現象に必要な秩序の精度を上げるためにこそ、「原子はそんなに小さい」、つまり「生物はこんなに大きい」必要があるのだ。
福岡伸一『生物と無生物のあいだ』



ご無沙汰です。
物を書くことは考えること。
ブログの更新が滞ると、あぁ今考えられてないな、と目に見えて分かるので良い指標だと思います。


上の引用は最近読んだ本から。
すごく面白いですね。生き物としての一貫性のある身体を維持するためには、たくさんの原子が必要だということ。
原子の全てがぴっちりしっかり働く、ということはなくて、ある程度の誤差を生む原子は必ず存在するから、たくさんの原子を寄せ集めて、誤差の影響を減らさないといけない。
案外、わたしたちの身体って適当に出来ているのかもしれないですね。
そしてその適当さを覆うほどの大きさをしている、と。


それって、社会にも似たようなことが言えますね。
よく「ニートは必然的に存在する」なんて言います。
中世の私度僧(認定を受けていない僧侶)、落語に出てくる八五郎とか、働かないけどそれなりの地位を獲得している人、がいつの世もいるわけです。
それは社会への不適応ではなく、「必然的にいる」ものだ、と。
社会もきっちりぴっちりしていないし、そんなふうには在れない。
それでも、その社会を維持するためには、その「誤差」をうまく馴染ませるだけの大きさがいる、というわけです。


良いこととして進められている少人数学級や能力別学級、それに否を唱える人がいることに、疑問を抱いていた時期がありました。
一対一に近い指導ほど子どもは成長するような気は今もしています。
それでも、母体が大きいほど、中にいる人は気楽に漂えるのかもしれない。
その可能性をもう少し探りたいなぁと改めて感じました。