きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

ポケモンGO所感

今日は『世間話研究』という雑誌を拾い読みしていました。
面白い雑誌ですよ。京都の有名ホームレスの研究から、ドラえもん最終話を創造したチェーンメール、弟の友人間の噂話などなど、これが研究対象になるのかっと驚く論文ばかり。
中には特定地域の昔語りをフィールドワークで集めたものや、昔話や世間話、神話、伝説などを類型化したものなど、かなりしっかり読ませるものも多いです。


その中にあった気になる言葉の中に、「インターネットで簡単に異界に接続できるようになった」という文言があります。
インターネットのない時代、人が接することが出来るのは目で見ている「今ここ」のみ。
だからこそ、昔語りの中では頻繁に異界が登場し、ハナシを通じて異界を旅することで、人は感動やら恐怖からの教訓を得ていた、と。
しかし現在、私たちは群衆の中にいても、スマホを手にするだけで違う世界へと入っていくことができます。
電車に乗ってスマホの画面に集中する時に、私たちは「今ここ」をすっと離れているわけです。
……でもこれは、インターネットに限らず読書にも通ずるなぁとは思います。
読書にも同じように、現実を飛び出して外の世界を見せる力があります。


今日、ついに「ポケモンGO」がやってきました。
わたしの通う大学付近では、スマホを手に、なんでもない所で立ち止まる人が多く見受けられました。
さすがに大学生だけあって、危惧されているように、急に走り出す人はいません。
ですが衝撃的だったのは、スマホを手にした人たちが、まるで電車の中でスマホをいじるように、自分の世界に入っていたことです。道端で。
スマホを手にする彼らと、手にしない私は「今ここ」すなわち同じ場所で同じ時間を共有しているはずなのに、「違う世界にいる」と強く感じてしまったことが、衝撃的でした。
かつて、電車内での携帯電話使用を拒んだ人たちの気持ちって、こんなかんじだったのかなぁと思いを馳せてしまいました。