きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

「だから今日超壊れてる」

今年の2月から担当している少学6年生の算数のクラス。
なんかやけにハジけてるな?と教室に入った瞬間に思った。
いつも元気で授業内外問わずおしゃべりの多いクラスではあるけれど。


「ハジけてる」の源は一人の男の子。
仲の良い友達の夕食のお弁当を取り上げて、訪問販売の真似事をしている。
「こちら、お安くいたしまして、1億2000万円になります」
こういうちょっとふざけたやり取りは前からよくしていた。
私はそれを見るたびにグルーミングだなぁと思うことにしている。
つまり愛情の確かめ合い。
ネコが互いに毛づくろいをするように、人間も互いに触り合ったり無意味なコミュニケーションを取ったりする。
それは「自分は愛されてる、認められてる」と互いに確かめ合う行為、というわけ。
LINEでの無意味に長く続くやり取りも、男子中学生が互いに抱き合うのも、「わかるわかるー!」だけで続く女子大学生の会話も、グルーミング。
人間が安心していられるためには欠かせないものらしい。


話を戻そう。
いつもなら「あぁ今日もグルーミングしてるなぁ」と流せる彼らに少し違和感を感じた。
やりすぎだな、と思ったのだ。
物を取り上げて「返せ返せー」とやり合うことはよくあった。じゃれあいの範疇だ。
けれどお弁当、というないと困るものを、休憩時間の半ばになっても取り上げたままにしているのは明らかにやりすぎだった。
休憩時間中のことに必要以上に口を挟まない、を信条としている私もさすがに声を掛けた。
「あと15分で授業はじまるよ。さすがにもうやめよう」


その場はすんなりと落ち着いたものの、授業が始まった後も妙に落ち着かない。
一人一人が自力で問題を解く時間中、件の男の子は絵を描いていた。
これは「自力でやる気力がない」の意思表示。
この男の子、けっこう問題を解く力は持っているものの、ものすごく気分に左右されやすい。
ノッているとさささーと解いてしまうくせに、ノらないと本当に全く解けなくなってしまう。
「今日はノらない日なんだなぁ」
と思いつつも、まずは静観する。
ヘタに声を掛けると「フザケ」が始まってしまうことを数カ月間経験していたからだ。


その後、子どもたちが説いた問題の解説をする。
この解説がとにかく困難だ。
なにしろ件の男の子はふざけたくて仕方がない。
好き勝手に話し出すことも多い。
私は「人が話している時は聞こうね」と軽く注意をしたり、「〇〇君、これってどういうことだったっけ?」と問いかけたりしながらなんとか授業を進めていく。
しかし、さすがにフザケが過ぎる。
他の子の勉強環境を荒らし過ぎているな、と感じた。
「〇〇君、さすがにみんなの迷惑だ。やめなさい。」
と厳しめに声を掛ける。
ところが今日はこれでも止まらない。
「迷惑だって言うなら、もっと迷惑するー」と言う始末である。


私はこういう時、どうすべきなんだろう、といつも思案する。
あの先生なら人格まで否定しながら怒鳴るだろうな、とか。
あの先生なら「もう受験なんてやめちまえ」と威嚇するだろうな、とか。
もしここがクラスでなく一対一の関係だったら「なんかあった?」と授業を諦めて聞くだろうな、とか。
色々考えて、今日もやっぱり静観の態勢に入ってしまう。
あれだけふざけるのには絶対わけがあるはずだ。
それを知らないのに、場を持たせるための威嚇はできない、そう思ってしまう。
では同じ場を共有している他の子の権利は?
難関校を目指すCさんはうんざりしているだろう。
彼女が心乱されずに勉強するために、私は彼を止める義務があるのではないか?
何度も何度も同じことで思い悩み、やっぱり私は静観する。
私は人が怒鳴られているのを聞いて泣いていた子どもだったから。
「クラスの人がうるさい」より「クラスの人が本質的でない所で怒鳴られているのを聞く」ほうが嫌なのではないか、と思うから。


そんなこんなで問題の解説が終わる。
件の男の子はずっと喋り倒し、ノートも取らなかったけれど、質問には答えられるし、「あーそういうことかぁ」の声も聞けた。
「多少は学べたかなぁ」と疲れ果てていると、その彼と別の女の子とが今日返却があったらしいテストの結果をみていた。
どうもこのテスト、夏休みの総まとめのためのテストだったようで、普段よりも範囲の広いそのテストの結果は、総じて芳しくなかったようだ。
特にその男の子はガクっと偏差値を落としたらしい。
「超やばい」「この角度で成績さがったら次の偏差値15だ」「テストの結果パソコンから消して」
と大声をあげている。
その時、「だから今日超壊れてる」と彼が言ったのを聞いた。
「壊れてる」とはクラスの人たちが彼を揶揄するのによく使う言葉。
ギャーギャーと騒ぎ立てることの多い彼を「〇〇君、壊れちゃったー」と良く言うのである。
つまり、「だから今日超壊れてる」とは、今日の途方もないフザケが、このテスト結果によるものなのだと伝えてくれた言葉なのである。


「もちろんテストの結果に落ち込んだから騒いだ」は全然正当な言い分じゃない。
クラスの他の人に迷惑をかけていることも変わりようがない事実。
でも、教育のプロならばやっぱり「だから今日超壊れてる」を真摯に受け止めなければならないと思う。
彼にどのように対応するのがベターなのか。
「テスト結果ばかりを気にさせる大人が悪い」「一斉型の授業だから『うるさい』ことが悪になるんだ」「子どもの自由や感情を無視して勉強を詰め込むのが良くない」
言いたいことは沢山ある。でもそれを言っている限り私はただのクレーマーから抜け出せない。
今日の私の対応は怒鳴るよりベター?よりベターな対応ってなかったの?
そこから考えを始めること。
受験塾にいる限り、私は「志望校に合格すること」を常に意識しなければいけない。
けれど、受験のための成績を上げるためだとしても、現状のやり方は絶対ベターじゃない、そう感じている。