きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

恐怖の恐怖のその先に

新しいことは、人と違うことは、自分をさらけ出すことは、
怖くて仕方がない。
怖い時の想像力はありえないほど逞しい。
はじめて教壇に〝先生〟として立った時、はじめて一人で外国に言った時、人前で歌ったり演奏したりする時。
「これなら大丈夫だろう」のその先に行くとき、想像力が羽ばたく。
何て言われるだろう、笑われるだろうか、泣かずに終えられるかな、失敗した時にどんな態度を取ればいいかな、何を言えばいいかな、本当にこの選択で良かったのだろうか……
短い時間でありとあらゆることを考えてしまう。


この夏に、プロジェクトアドベンチャーの体験会に参加した。
救命具をつけてハイエレメントのロープコースに登った時、ものすごい恐怖を感じた。
上にはこれから一緒にチャレンジをする仲間がいたし、下にはそれを応援してくれる仲間がいた。
絶対に落ちることはできないと思った。
もちろんわたしが落ちても、仲間たちは笑って「がんばったね」と言ってくれるだろう。
それでも、影で失笑する姿、がっかりする姿がいくらでも脳裏に浮かんだ。
それにロープコースはものすごく高所だった。
そもそも運動が苦手なわたしにとって、それも恐怖のひとつ。


結局、上まで登ることはできた。
仲間はねぎらってハイタッチをしてくれた。
安心感か挑戦できた喜びか、涙が溢れて自分でびっくりした。


怖いのは行き着く先が分からないからなのだと思う。
どういう結果が得られるのか分からないから、たくさん想像してしまう。
その想像力は沢山の危険と隣り合ってきた人間の力かもしれない。
でも、その想像力を跳ね除けて「その先」へ行かない限り、良い結果も新しいアイディアも今以上の幸せも手にはいらない。
「その先」に行くと、次はどの方向に行けばいいか、なんとなく見えてきたり(見えてこなかったり)するのだと思う。
トライアンドエラー
〝怖い〟は次への扉。


人と違うことをやってみて、嬉しいことがたくさんあって、「ああ、やってよかった」と感じつつも、
やっぱり〝怖い、怖い〟と思った。
〝良かった〟と〝怖い〟は共存するんだなぁとちょっとおかしかった。


〝怖い〟をたくさん、たくさん繰り返したらどこへ行き着くのか、見に行けるようになりたい。