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きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

「教えて」

かけ算の小テストが返却された。
Aさんの点数はイマイチ。
これからやり直しをして先生に提出しないといけない。
「はやくやり直しをしてください」
という先生の声にかぶさるように、
「おわったー!」「あー、ミスだった!」と子どもたちの声が上がる。
そして続々とやり直しをした小テストが先生のもとへ集まっていく。
「まだやり直しをしていないのはAさん、Bくん、Cくん……か。待っているんだから早くして」
先生の声は厳しい。


Aさんは真面目だけど、勉強が苦手な女の子。
掛け算で分からない所があるのかな?と思い、わたしはAさんのもとへ足を運ぶ。
Aさんは空欄ばかりの小テストを前に、消しゴムで手遊びをしていた。


この小テストは、先生が読み上げた計算式を自分で書き写して答える、という形式のもの。
Aさんが躓いていたのは計算そのものではなく、聞き取れなかった計算式そのものであるらしい。
「ここ、先生の式が聞き取れなかったの?」
と声を掛ける。うなずくAさん。
「じゃあ、誰かに式を教えてもらはないといけないね。
「………教えて」
Aさんはわたしに計算式を求めるが、あいにくわたしも式をメモしていない。
「わたしはテストをやっていないから分からないなぁ。だれか、教えてくれそうな人いるかな?」
Aさんは数秒戸惑った後に、後ろにいるDさんをチラリと見る。
Dさんはとても利発は女の子。テストも満点だったようで、やり直しをすることもなく読書に徹している。
「ほら、聞いてごらんよ。絶対教えてくれるよ」
と励ましてはみるが、Aさんにとって「教えて」はかなりハードルのある行為らしい。
「一緒にいてあげるからさ、かる~く『ここの式なんだったけ?』って聞いてみよう」
Aさんのハードルをなるべく下げようと、かなり踏み込むわたし。
観念したのか、Aさんは「ここ、なに?」とDさんに声を掛ける。
読書中のDさんは小テストをチラっと見て「〇〇だよ」と一言。
Aさんはその式をさっと小テストに書いて先生に提出した。


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人には生まれ持った「賢さ」というものがあるのだと思う。
先生の話を同じように聞いていなくても、聞いていないことがバレて怒られる人と、
隣の人にこそっと内容を教えてもらってやり過ごす人がいる。
先生に小言を言われた時に、黙ってしまった結果より怒られる人と、
上手く冗談を言って笑い話に変えることができる人がいる。
友人間でトラブルがあった時に真正面からぶつかる人と、
スカしたり怒鳴ったりすることで自分を優位に持っていける人がいる。
得てしてこういった「賢さ」を持つ人は友人関係も上手くやれるし、先生に気に入られることもできる。
そういて〝学校〟という空間の中で楽しく生きていける。


一方、にこういった「賢さ」をあまり持たない人にとって〝学校〟というのは辛い場。
学校の勉強が出来るか否か、友達と楽しく話ができるか否か、先生に認められる存在になるか否か。
すべてがこの「賢さ」と関わっている気がする。


小学生のころ、中学生のころ、学校の勉強ができるがどうか、なんてそんなに大事なことではなかった。
休み時間を一緒に過ごせる友達がいるか、クラスの中に存在しうるかどうか、それが全てだったように思う。
その時必要になるのが「賢さ」


大学で授業法の勉強をしていると、良い授業さえあればそれがスルスルと子どもの頭に入っていくように感じてしまうけれど、そんなことは絶対にない。
そのことを念頭に置かなければ、と思う。