きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

なんとなく分かってしまったこと

今、教育という世界を軸に働こうとしていて、「一人一人を見ること」を中心に考えていきたいなぁと思っている。
多様性という言葉で片付けてしまわずに、一人一人の違いをきちんと分析して評価する技術を持ちたいと思っている。
でも、アルバイトの個別指導で1対2の授業をしながら、きちんと見られていないなぁと思う。たった2人の生徒を。
一方としっかり話をしようと思えば、もう一方がお留守になる。
2人同時に「この問題分からない」と言えば、片方に待っていてもらわざるを得ない。
そりゃそうだなぁと思う。わたしの目は二つあるけど180度の開きがあるわけではないし、わたしの口は一つしかない。


おそらく1対1にも限界があるのだろう。
24時間、1対1の関係を続けることは出来ないのだから。
だから、きっと、大切なのは、もう何回も耳にした「主体性」であり「協同」なのだと思う。
学びの主体が学ぶ本人にない限り、どんな一対一も効果はもたない。
一対一の片一方に教師しか在れないのだとしたら、たくさんの生徒を前に一対一は不可能だ。子ども同士が学び合えないのなら、一斉授業のほうが余程マシなのかもしれない。


わたしは「一人一人を見ること」の意味を履き違えてはいけない。
他者の全てを分かろうとしてはいけない。それは到底不可能だ。
わたしは豊富な選択肢の中から「これ、君に合ってるんじゃないかな?」と提案する人でありたい。
けして「見ててあげるからやってね」ではなく。
「一人一人を見ること」はけっして他者を理解してあげることではない。
履き違えてはいけない。