きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

結局、わたしはどう在れるのだろう

最近は自分の在り方について、よく考える。
人に対して、どういう状態で相対したいのか。


わたしは「人が困っていたら助けたい」「楽しそうだったら一緒にやりたい」
でも、「困ってないんだったら頼らないでほしい」「自分が楽しいと思えないことは、否定しないけど参加しない」
ごくシンプルに人に対してこう思ってる。


一番したいことは、「色んな人が出入りする大きな家みたいな空間をつくること」「人が自由に楽しんでいる状態を楽しむこと」「時々他の人と楽しいことをシェアすること」
得意だなぁと思うことは、「なんとなく人の気分を察すること」


一番したくないことは、「自分が是としないことを他人に諭すこと」「怒鳴ること」「つい人を否定する言葉が口をついてしまうこと」
苦手だなぁと思うことは、「集団を統率すること」「物事をはっきり言うこと」


この1年間さまざまな場所で人と関わりながら、この「在りたい」と思う姿から離れれば離れるほど、心が固まるのをリアルに感じてきた。
「授業を聞きたくない時は聞かないほうがいい」と思いながら「話を聞きなさい」と諭した時。
集団をまとめなければと焦ってまとまらない個々の人の気持ちを無視した時。
「ほかの子どもに示しがつかない」という理由で子どものやりたいことを止めた時。
「本心と違うことをした」と思う時、さぁーっと心が冷めていく。


本質的な部分で「こう在りたい」と思うことのできない行動は、取るべきでないと思う。
自己矛盾していることは、多かれ少なかれ人に伝わってしまうから。
本質的な部分で「こう在りたい」と思う行動を増やしていきたい。
そのほうが自分の行きたいところに行けるような気がする。