きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

もうちょっと頑張ってみようかな、と思えるとき

身近なひとが聞いてくれようとした時。
共感してくれなくてもいい。気にかけてくれたというのが大事。身近な人というのも大事。遠くのひとの共感も時には救いになるけれど。
自分の価値観が気持ちよく転換しそうな時。
自分の考えが絶対だと思っていると努力しようがなくて袋小路。


例えばこのブログをこのタイミングで読めたことは幸せなのだなぁと思う。


http://nao-taka.hatenablog.com/entry/2017/07/12/225653

この4カ月で感じたことのひとつは、(もうずっと知っていたけれど)一人一人に関わることの不可能さとどん詰まり感。
もちろんケースバイケースだけれど、一人をじっくり見たときの閉塞感。
集団がなんとなく解決してくれることの多さ。


まだ学ぶことがある、と思えた1日の記録。

20170707

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私は焼き芋ができるのをひたすら待っていたのだが、ほんとうに待っているものは焼き芋ではないという感じがしていた。区切りを待っていたのだ。先を急いでいたのだ。もっと見たい、どうなるの、火はどうやっておさまるの。また暗くなったら急に木々の音が聞こえだすの?
「なにもないところから、火を起こして、それが燃えさかり、消えていくだろう。そして炭や灰になる。なににおきかえてもみんな同じ過程だ。その全部をなるべくねばれ。先を見たい気持ちでのめるな。ねばって一歩でも遅くためていくんだ。」
おじいちゃんは言った。
よしもとばなな『スウィート・ヒアアフター


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あっという間の7月。
何もかもが色褪せて見える日々の中で、毎日プランターの植物が大きくなること、緑の匂いと色がいつもそばにあること、音楽はいつも美しく響くことが生きる糧になっている。
おかしな話だと思う。人はいつも優しいし、その優しさに気づいているのに感謝できない。
子どもは毎日新たな気づきを得ているのに、そのことを喜べない。
そんな日々なのに自然のことはいつも新鮮だし嬉しい。


笹井宏之さんの短歌に、
野菜売るおばさんが「意味いらんかねぇ、いらんよねぇ」と畑へ帰る
っていうのがあったなぁ。
意味を捨てて生活がしたい。仕事がしたい。
はたらく意味、生きる意味、意味の蟻地獄に嵌まっているからこんなに苦しいんではないかしらね。

20170625

食パンの耳をまんべんなくかじる 祈りとはそういうものだろう
笹井宏之


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p131
宛先のない祈り、それを「だれか」の代わりに引き取る場所として、たとえばお宮やお社が護られてきたのだろう。
p133
写真家が、なにかある主題を浮かび上がらせるという観念性を脱落させて、見えるものと撮られたものとの際をかぎりなくゼロに近づけようとして、仕事をしばしば「カメラにまかせる」ように、終わりなき「祈り」のなかで、ひとはおそらく「祈り」そのものを何かにまかせる。たとえば、身体に。心がお留守になって散らばるのを防ぐために、宗教礼拝では、何事も、たとえば祈りの文句や数珠の持ち方なども、型どおりにおこなうよう定められている。
鷲田清一『「待つ」ということ』


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祈ること、願うことってどういうことだろう?
ひとは自分のしたいようにしか出来ない生き物だと思ってる。だから押し付けや強制は学びには繋がらないと思ってる。むしろ強制された事物を嫌いになるんじゃないのかなぁって思ってる。
でも、「こうなってほしい」という願いのないところは無味乾燥なんだろうなぁ。
自分の力で学べるようになってほしい、も、自由をうまく使えるようになってほしい、も願いだし、行き過ぎれば価値観の押し付けだ。
願いと強制が繋がらないところに祈りがあるのかな。そんなことを考えた1日。


ようやく頭で考える余裕がでてきた。
でも直感的に動いていた頃に悩まなかったことに苦しんだりしてる。
ジョブズの言葉を反芻する。今日で命が潰えるとしたら今日の予定を行うだろうか?
今は、うまく頷けない。

20170624

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6月の尻尾が見えてきた。
なんだか停滞した月だったなぁ。


6月さいごの土曜日の朝は夏のにおいがした。きちんとした花のにおい。ひらかれたにおい。
そういう小さな変化がわたしを生かしているなぁと思う。
ベランダの紫蘇とバジルに水をやるとき。
好みのカレーを目指してスパイスを混ぜ合わせるとき。
ひとが昨日と今日で別な顔を見せたとき。
毎日同じことの繰り返しだなんて、そんなことはあり得ないのにそう感じてしまう日常を彩ってゆくのはそういうものたち。


いま、「待つこと」についての本を読んでいる。
焦れを感じないで待つこと、待つことを忘れて待つことが大事らしい。
「季節のうつりかわりを感じるように待つこと」
って表現がすてきだったな。
毎日の仕事を淡々とこなしながら待つ。
待っていることを忘れたころに、小さな変化がふとやってくる。
そんなふうに在りたい。

さよなら5月

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いい月だったなぁ。
嬉しいことも苦しいこともたくさんあって。
「結局なんのためにやってるの?」この問いに何度も何度も行きつ戻りつした1ヶ月だった。


6月はどんな月になるだろうなぁ。
じっくり、ゆっくり、たのしさとほんものを噛みしめるような1ヶ月にしたい。

20170528

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おもちゃの国の月みたいな、赤っぽくて折れそうなくらい細い三日月。


全てのスタートは自分から。
その言葉にだんだんと実感が伴ってきている。
人と相対したとき、「こんなふうに思われているのではないか」って思ってしまう。
その想像力に蓋をして、しっかりと息を吸って、吐いて。縛られない自分でいること。自由で在ること。
ひとはそんなふうに自由な人のところに身を寄せたくなるのではないかなぁ。


自分を一番自由から遠ざけているのは紛れもなく自分なんだと思う。