きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

20170625

食パンの耳をまんべんなくかじる 祈りとはそういうものだろう
笹井宏之


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p131
宛先のない祈り、それを「だれか」の代わりに引き取る場所として、たとえばお宮やお社が護られてきたのだろう。
p133
写真家が、なにかある主題を浮かび上がらせるという観念性を脱落させて、見えるものと撮られたものとの際をかぎりなくゼロに近づけようとして、仕事をしばしば「カメラにまかせる」ように、終わりなき「祈り」のなかで、ひとはおそらく「祈り」そのものを何かにまかせる。たとえば、身体に。心がお留守になって散らばるのを防ぐために、宗教礼拝では、何事も、たとえば祈りの文句や数珠の持ち方なども、型どおりにおこなうよう定められている。
鷲田清一『「待つ」ということ』


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祈ること、願うことってどういうことだろう?
ひとは自分のしたいようにしか出来ない生き物だと思ってる。だから押し付けや強制は学びには繋がらないと思ってる。むしろ強制された事物を嫌いになるんじゃないのかなぁって思ってる。
でも、「こうなってほしい」という願いのないところは無味乾燥なんだろうなぁ。
自分の力で学べるようになってほしい、も、自由をうまく使えるようになってほしい、も願いだし、行き過ぎれば価値観の押し付けだ。
願いと強制が繋がらないところに祈りがあるのかな。そんなことを考えた1日。


ようやく頭で考える余裕がでてきた。
でも直感的に動いていた頃に悩まなかったことに苦しんだりしてる。
ジョブズの言葉を反芻する。今日で命が潰えるとしたら今日の予定を行うだろうか?
今は、うまく頷けない。

20170624

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6月の尻尾が見えてきた。
なんだか停滞した月だったなぁ。


6月さいごの土曜日の朝は夏のにおいがした。きちんとした花のにおい。ひらかれたにおい。
そういう小さな変化がわたしを生かしているなぁと思う。
ベランダの紫蘇とバジルに水をやるとき。
好みのカレーを目指してスパイスを混ぜ合わせるとき。
ひとが昨日と今日で別な顔を見せたとき。
毎日同じことの繰り返しだなんて、そんなことはあり得ないのにそう感じてしまう日常を彩ってゆくのはそういうものたち。


いま、「待つこと」についての本を読んでいる。
焦れを感じないで待つこと、待つことを忘れて待つことが大事らしい。
「季節のうつりかわりを感じるように待つこと」
って表現がすてきだったな。
毎日の仕事を淡々とこなしながら待つ。
待っていることを忘れたころに、小さな変化がふとやってくる。
そんなふうに在りたい。

さよなら5月

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いい月だったなぁ。
嬉しいことも苦しいこともたくさんあって。
「結局なんのためにやってるの?」この問いに何度も何度も行きつ戻りつした1ヶ月だった。


6月はどんな月になるだろうなぁ。
じっくり、ゆっくり、たのしさとほんものを噛みしめるような1ヶ月にしたい。

20170528

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おもちゃの国の月みたいな、赤っぽくて折れそうなくらい細い三日月。


全てのスタートは自分から。
その言葉にだんだんと実感が伴ってきている。
人と相対したとき、「こんなふうに思われているのではないか」って思ってしまう。
その想像力に蓋をして、しっかりと息を吸って、吐いて。縛られない自分でいること。自由で在ること。
ひとはそんなふうに自由な人のところに身を寄せたくなるのではないかなぁ。


自分を一番自由から遠ざけているのは紛れもなく自分なんだと思う。

20170526

わたしが自然に行うことのひとつひとつが、わたしが憧れるひとと違っているなぁと思う。
と同時に、わたしは自分とは違うひとをまた目指していたのだなぁと気がつく。
いつもそう。憧れ、すてきだなぁという思い、羨ましい、いいなぁ。わたしは自分が好きなひとやものにすぐ寄っていってしまう。


他人にはなれない、ということは悲しくもあるけど、とびきりすてきなことだ。
他人にはなれないから、わたしも誰かの力になれる。
わたしだからこの場でできることを、体験の中から掘り出していきたい。


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やっぱり小学校の学級担任はわたしには向かないだろうなぁと思う。
「きちんと統率してほしい」という子どもの無言の訴えが辛い。
わたしにとってもっと力の出しやすい、子どもや学校、社会との関わりを再考したいなぁ。

20170524

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あんなに長い、長いと思っていた5月が暮れようとしている。
わたしはこの5月に何ができたのかなぁ。


どうしても、たくさんの人のベストを目指そうとして誰にとっても微妙な解へたどりついてしまう。
他人のベストをわたしが実現することは不可能だということをもっと思い知りたい。
わたしがベストをつくるんじゃない。ひとりひとりが自分のベストを探せる環境を整えること。


ひさしぶりに草木染めをした。
左のオオヤマザクラ
右は昨年染めたソメイヨシノ
ソメイヨシノがほんのりピンクなら、オオヤマザクラはじっくりとした茶色。
今回は先媒染だったからそれが関係してるのかも。
染め物は染材をぐつぐつ煮出している時間がたのしい。
どんな色がでてくるのかわからないから。
すでにわかってしまっていることは、たぶんつまらない。

20170520

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今月の短歌には笹井宏之さんの「簡潔に生きるくらげ発電のくらげも最終的には食べて」を選んだ。
4月よりもぐっと出来ることも持っているものも増えた今だからこそ、簡潔に暮らして簡潔に生きたい。


わたしの考える「簡潔に生きる」は、自分の欲求と現実が釣り合っている状態をつくること。
自分のほしいもの以上のものを持たない。
自分がしたくないことをしない。
「いつか使うだろう」っていらないものを放っておいたり、「仕事だから仕方ない」って魔力ワードで自分の心を殺しているうちに、家も心もどんどん雑になっていく気がする。
本当はほしいものもしたいことも、突き詰めればほんの少しなのだと思う。
根元はすべていっしょ、みたいな。
すこしずつ簡潔にしてゆきたい。


ここ一週間よく夢を見る。
今まで関わってきた子どもやおとながたくさん出てくる。
朝起きても何も覚えていない。とにかくたくさんの人がいてなにやらたくさんのことが起こっただろうことだけ感じている。
いま変に疲れているのは頭も心も整理されていないからなのかもしれないなぁなんて思う。