きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

ざらっとした気持ち

急いで先週の振り返り。
体育のバレーボール。
クラスを4チームに分けて試合をすることになったので、わたしはその片方の見張りを任された。
審判は子どもたち自身でやるそうだから、「見張り」という表現が近い。要するに見ているだけ。
子どもたちは何度もどちらに点が入ったかでもめた。一回ボールの受け渡しが途絶えるたびにもめた。
でもわたしは何も言わなかった。もめることも含めて勉強なのだと思っていたから。
子どもたちが「公正な試合のために審判をしてほしい」と言うまでは黙っていようと思った。
勝手にスコアボードをめくる子どもに「みんなで話合ってから来て」とだけ繰り返した。
結局子どもたちは妥協点を探すこともあれば、強硬することもありつつ試合を終えた。
この試合の振り返りをしたいなぁと思った。どういうことが起こったのか。どういう気持ちになったのか。
「最後に一列に並べて礼をさせてほしい」と担任の先生に言われていた。
だけど負けたチームの子どもたちは三々五々に散らばっていく。
「きちんと礼をして試合を終えよう」とわたしは言った。大きめの声だった。
それでも負けたチームの子どもは集まらず、わたしはもっと大声をあげた。
結局、勝ったチームの子が引っ張るように散らばった子どもを集めて礼をした。
わたしは大きな声を出しながら、無理やり礼をさせながら、ざらっとした気持ちになった。
これは正しくないやり方だとその瞬間から感じていた。
「わたしは何故礼をさせるために権威を使ったのだろう?」
責任を持って試合をするために礼が欠かせないと考えていた?
担任の先生に言われたことをやらないと、という自己防衛?
子どもが自分の言う通りにならず腹立たしかった?
多分、そのどれもの要素が少しずつある。そして、そのどれもがその場にいる子どもへの目線から生まれたものではなかった。


今日もがんばろう。

この2年

この年末年始はたいして本が読めず、何故だか昔読んだ本ばかりパラパラと捲っていました。
なぜだろうね。もうすぐ人生に一区切りつくからだろうか。


2年前の4月、「今月の短歌」として俵さんの歌を手帳に書きました。
「旅人の目あるうちに見ておかん朝ごと変わる海の青あお」
石垣島に移住した俵さんが、移住したばかりの「旅人の目」をもって詠んだ歌。
今までとは違う場所に行くのだから、けれどその目新しさはすぐ消えてしまうのだから、「旅人の目」があるうちに見たことをきちんと記録しておこう、そんな気持ちでこの歌を眺めたことを思い出します。
でも、この2年間はずーっと旅人だったなぁと振り返ってみると感じます。
ホームがないままに色々なところに顔を出して。学んだことや日々のモヤモヤをどこへ向けて昇華させて良いのか分からずに。
どこをホームにしたいのか、ずっとフラフラ彷徨っていた2年のような気がします。


年末年始に再読した本の中で、グサッときたのは西村さんの『かかわり方のまなび方』
この本は読むたびに刺さる箇所が変わる、すごく良い本です。
本の中のファシリテーターについて書いている箇所で、自己一致の大切さに触れてありました。
場に居る人の学びや活動を促進しうるファシリテーターに必要なのは無条件の信頼、共感的理解、自己一致であると。
無条件の信頼(行為ではなく人そのものを信じること)や共感的理解ってよく聞くんです。
その度に最近はちょっとモヤモヤしていて、そのモヤモヤはなんだろうなぁと、時々考えていました。
そのモヤモヤ、「信頼できない自分」や「共感できない自分」を無視することから来てたんだなぁ、と、思いました。
自己一致が大切であるということは、「信頼できない自分」「共感できない自分」を認める必要があるということ。
その上でそんな自分に大幅なウソをつかない行動をするのがよいのだろうな、と思いました。


もうひとつ、このタイミングで再読してよかったなぁと思ったのは梨木香歩さんの『春になったら苺を摘みに』
自分の価値観、ものの考え方に近しいエッセイです。
その中に「それぞれの戦争」というエッセイがあります。
太平洋戦時下、アメリカの日本人強制収容所に居た人に梨木さんが偶然出会った話が主軸となって、梨木さんの戦争観が語られていく。
強制収容所にいたその方は、アメリカ生まれのアメリカ育ち。自らをアメリカ市民だと堅く信じていた時に、日本人の血が流れているからという理由で強制収容所へ。
命からがら日本へ帰ってからも、戦時下の日本のこと、大変な思いをされたらしい。
その方は梨木さんに、「戦後何十年も経ってアメリカの地に再び渡った時、自分にとっての戦争が終わった」と語り、梨木さんは「それぞれの戦争」について思いを馳せます。
そんなエッセイを読みながら、わたしもやはり「それぞれ」に着目したい人間なのだと、改めて感じていました。
テロで何百人が死んだ、〇〇町の女子高生が殺された、そんなニュースを聞く時に感じるプラスチック一枚隔てた感触が体に馴染まない。
「学校教育はこうあるべき」「理想的な先生とは」とつい語ってしまった後に感じる虚しさ。
大きなことを見たり話したりする時の現実感の無さ。
わたしはつくづく「目の前のその人」でないと上手く接していけないのだと思います。
わたしの「自己一致」はここからはじめないといけない。


とある場で、「先生が困難のある子どもに構いすぎたが故の学級崩壊」の話を聞きました。
よく聞く話だなぁと思いつつ、わたしもそうなるだろうな、と考察。
そうしたら別の人が「特別支援学校にいた人もそこに陥りがち」と一言。
それを聞いて、なんだろうなぁ引っかかるなぁと思いました。
なんだろう、個人を見ることが大事という文言と、教師はあくまで集団を見るものという考え。
個人にフォーカスしたいわたしの「自己一致」はこの矛盾の中でどのように在れるのか。
どのような力を持てば「自己一致」したうえで人と関われるのか。


旅人として2年間をやってきて、この年末年始に馴染みの本を読んだりなどしていると、もとの場所に戻ってきたなぁという感じがするのです。
教育について、文学について、読書について、共感について、多様性について、継承と創造について、常日頃なんとはなしに考えたり、本を読んだり、人と話したりして、結局のところ「自分の在りたい在り方」にもどっていくような感じ。
あと残り3ヶ月、どういうふうにこの2年の決着がつくのかつかないのか、やってみるしかないなぁ、といったところです。

なんとなく分かってしまったこと

今、教育という世界を軸に働こうとしていて、「一人一人を見ること」を中心に考えていきたいなぁと思っている。
多様性という言葉で片付けてしまわずに、一人一人の違いをきちんと分析して評価する技術を持ちたいと思っている。
でも、アルバイトの個別指導で1対2の授業をしながら、きちんと見られていないなぁと思う。たった2人の生徒を。
一方としっかり話をしようと思えば、もう一方がお留守になる。
2人同時に「この問題分からない」と言えば、片方に待っていてもらわざるを得ない。
そりゃそうだなぁと思う。わたしの目は二つあるけど180度の開きがあるわけではないし、わたしの口は一つしかない。


おそらく1対1にも限界があるのだろう。
24時間、1対1の関係を続けることは出来ないのだから。
だから、きっと、大切なのは、もう何回も耳にした「主体性」であり「協同」なのだと思う。
学びの主体が学ぶ本人にない限り、どんな一対一も効果はもたない。
一対一の片一方に教師しか在れないのだとしたら、たくさんの生徒を前に一対一は不可能だ。子ども同士が学び合えないのなら、一斉授業のほうが余程マシなのかもしれない。


わたしは「一人一人を見ること」の意味を履き違えてはいけない。
他者の全てを分かろうとしてはいけない。それは到底不可能だ。
わたしは豊富な選択肢の中から「これ、君に合ってるんじゃないかな?」と提案する人でありたい。
けして「見ててあげるからやってね」ではなく。
「一人一人を見ること」はけっして他者を理解してあげることではない。
履き違えてはいけない。

「どう変えたいか」

とある方が、
「学校を変えたい」「教育を変えたい」と言う学生は、どう変えたいのか、なぜ変えたいのか、なぜ現状がこうなのか、を問い続ける必要があるのだ
というような趣旨のことを言っていた。


とある先生が、「子どもは厳しく育てられるべきだ」と言っていた。
確かに、忘れ物をする、勉強ができない、集中しない、、などといった子どもの行動を厳しく叱っている。
おそらく、この先生は厳しく育てられたのだろう。もしくは自分は緩く育てられたせいで不利益を被ったと感じることがあるのだろう。
この先生の教育観は決して否定できるものではない。


でも、発達障害のあの子が、人より勉強するスピードが遅いあの子が、親に起こしてもらえないから遅刻するあの子が、みんなの前で怒られるのを、わたしは良しと思わない。


変えるべきは教育観ではないのだなぁ。

心が死ぬ時

最近、全然振り返り書けていないなぁ。
何のために振り返りをするのかが曖昧だからかも。
目的を持って振り返りをしたい。
当面の目標は、個人に焦点を当てたアセスメント能力の強化だから、対個人で感じたことや行ったことを振り返ればいいな。
でも、今回は別の話。


自分の心が死ぬ瞬間を体験したからその記録。
アルバイト先の塾に、ここのところずっとイライラしていた。
事務と指導を同じ人に処理させる仕組み故に、子ども対応が雑になること。
指導可能な教科などおかまいなく、日程が空いている人に授業を持たせること。
授業時間以外の雑務をさせるのに、給料を出さないこと。
それら全てから透けて見える、社員もアルバイトも生徒も交換可能であるという考え。


たまたまその時間にいたから、という理由で小学生に算数を教えた。
予習もせずいきなり見た問題だったけれど、なんとか分かる内容だった。
ちょっとほっとしてしまった。
ほっとした自分が、その組織に慣れてしまっているようで嫌だった。
子どもも嫌そう。そりゃあ、いつもの先生のほうが良いに決まってる。
冗談とテンションで、なんとか楽しい空気をつくってその時間を終えた。
でも、子どもは絶対楽しくなかったと思う。
次の時間も、はじめて顔を合わせる子どもだ。
でも、こちらは何をするのか事前に把握している。
「なんとかなるはず」
そう思った時、心が死んだな、と思った。
今わたしがしていることは、コンピュータでもできる、ただ既知の内容を教示することでしかないと、思った。


こんな仕事の仕方は、もう二度としたくないと思ったから、ここに記録する。

一人をきちんと見ること

発達障害があり、対人関係や集団生活に困難を感じているAくん。
友達と遊ぶと、遊びのルールに納得できずキレてしまう。
「ノートを写してください」という先生の声がうまく心に入っていかず、「みんなに迷惑をかけるな」と怒られてしまう。
そうやって今まで生きてきたからだろうか、自尊心もものすごく低い。
勉強は良くできるけれど、少し躓くとカッとなってしまう。
リコーダーがうまく吹けず、「このリコーダーは壊れてるんだ!」と怒鳴る。


算数の時間に「みんなのペースに付いていけないから」という理由で、Aくんの勉強をわたしが見ることになった。
先生の「〇〇を解いてください」がうまく心に入らず、鉛筆や筆箱をいじってしまう。
一対一になると、比較的、言葉が心に入るようだ。
「Aくん」と声を掛けてから話すと、より心がこちらに向く。
勉強はよくできるAくん。
本当ならばやらなくて良い、確認の計算まで問題なく終えた。


体育館に行くためにクラスの子どもたちは列をつくっている。
Aくんは自分の机のあたりでフラフラとしている。持ち物を探している様子。
先生の「Aくん、はやく」との声にハッとして列の後ろにむかう。
しかし、先生やクラスの子どもたちが進み始めると、ふらっと窓ほうへ向かう。
「体育の授業に遅れちゃうよ、行こう」と声を掛けると、
外を眺めながら「なんでこんなに雪が降っているのに積もらないのかなぁ」と言う。
「地面につくと溶けちゃうんじゃないかな」
「じゃあなんで、あの屋根の所は積もってるの?」
「うーん、屋根は地面より冷たいのかなぁ」
「えー、なんで!?」
「ほらほら、みんなAくんがいないって心配するよ。そろそろ体育館行こう」
そして、半ば無理やり体育館へ連れていく。


算数の時間、先生の「円の形をしているものはありますか?」の質問に、子どもたちはいろいろな物の名前をあげる。
「空き缶は?」「空き缶の底、確かにそうだね」「ボール!」「ボールはまんまるでしょ、それは球といいます」
Aくんはふらふらっと教室内を歩きだす。
鉛筆削りの回る部分や、箱に空いた穴を先生に見せて、「これはこれは!?」と言う。
他の子どもたちは座ったままAくんを見ている。


「Aくんにとっての教育を考えること」と「集団を教育すること」の間に感じる溝。
学級集団、という言葉が嫌い。
クラスづくりという言葉も嫌い。
それでも人は3人以上集まると群れになる。
群れには群れの力が働く。強い者と弱い者が生まれるのは群れの特性。
例えばミツバチが女王蜂とそれ以外に分かれることで生存率を上げたように、本来は意味ある特性なのだと思う。
群れである「クラス」というものの中にある時、「一人」をきちんと見ることはひどく難しい。
それでもわたしは集団としてクラスを見ることにもの凄い嫌悪を感じてしまう。
集団を育てて、何になるというのだろう。
その集団は、たった1年~数年で解散してしまうものなのに。
それでも集団を考えない限り、クラスという集団を扱うことは出来ないと思うと、とても虚しい。

ある日のこと。


「いくら言っても『死ね』『バカ』と言い続ける人を、クラスのゲームに参加させることはできない」
先生の言葉はまさに宣告。
変えようのない事実のように告げられる。


クラス会として体育館で行われたドッジボール
運動が得意な彼は先生に宣告されて、凍り付いた。
「え?」
多分、何回か謝れば許してくれる、と思ったのだろう、しきりに謝っている。
そう、彼はこういう力関係に聡い。
先生に逆らわない程度に好き勝手するのが上手だ。
けれど、クラスメイトは彼を見逃さなかった。
「〇〇に『死ね』とか傷つく言葉を言われたことがある人?」
先生が尋ねると多くの子どもが手をあげた。
「ほらね。何回も言ったよね。友達いなくなるよって。先生ばかりに良い顔してもダメなんだよ」
正論だ、と私は思う。彼は確かにズルイ所がある人だ。


「〇〇なしでドッジボールをやります」
と先生が言うと、一人の男の子がガッツポーズをした。
賢い男の子だ。人は人の不幸をこんなにも純粋に喜べるのだ、といささか客観視しはじめたわたしは感じる。
ドッジボールの最中、彼はずっと泣いていた。声をあげて。
一人の女の子が言う。
「誰が泣いてるの?」
そして何事もなかったかのようにドッジボールへと戻っていく。
そう、こんなふうに面倒事に関わりたくない女の子は多い。わたしもそうだったなぁと思う。
一人の男の子が私の元まで来て言った。
「かわいそう」
その言葉にちょって面食らう。
その子は彼によくいじめられる男の子だったから。
気弱なその男の子を、彼は逆らえないだろうと踏んでよくいじめていた。
それなのに心からの「かわいそう」が出てくる事に、驚いてしまった。
「そうだね。次は一緒にできるといいね」
それしか言えなかった。


ドッジボールが終わった後も先生の宣告は続く。
「これからも『死ね』『バカ』が続くようなら、次のクラス会も参加させません」
「みんな、これは意地悪ではないよね?」
「みんなで彼を見張っていこうね」
やっぱり正論だ、と思う。
人を傷つける言葉を言ってはいけないこと、ムカついてもそのまま行動に起こしてはいけないこと。
そういった沢山の指導をやってきた後の対応なのだと思った。
「死ね」と言われる子どもよりも、「死ね」と言う子どもを庇うことは、先生という職業には出来ないのだと思った。
それでも彼は「昨日ケンカしてココ殴られた。まぁオレが悪かったんだけどさ」と言える人だと知っている。
「今日、お父さんにココ殴られた。見て、めっちゃ腫れてる」という言葉も聞いていた。
正論だ、けど何かが違うと思った。
でも、ここが限界かもしれないと感じてしまった。


オバマ政権下に生活が全く改善せず、高所得者を恨み、既得権益を奪う移民を恨み、トランプに一票を投じた白人労働者層をわたしは非難できない。
同じように、彼に「死ね」と言われた男の子が彼の不幸にガッツポーズをしたことも、非難できないのだ。