きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

まなび

久しぶりにブログを書こうと思った。
前回の記事から約200日。そもそもブログがあったことを忘れる程長い月日。
生活にも一区切りがついたから、また少しずつ外に向けて何か書けたらいい。


このあいだ漫画版の風の谷のナウシカを読んだ。高校生ぶりくらい。
ナウシカは、略奪を行う蟲使いに対して反射的に嫌悪を感じて叱責する。
我に返った後に、蟲使いにとっての略奪は文化であることに気がつく。
「わたしたちは、なんて沢山のことを学ばなければならないのだろう」


柳田國男は『青年と学問』で、人の世の煩悶は未知によるのだと言った。
煩悶と不満の海に溺れていたわたしにとって、水に浮かぶ木の切れ端のように、小さな助けとなった言葉。


教職の授業で夜間中学のドキュメンタリー映像を見た。
おのおのの事情によって子どもの頃に義務教育を受けられなかった人たちが読み書きや計算を安価でならう。
初めて文字として形になった言葉は、その人の苦悩に満ちた人生を作文という形で昇華させ、友人の誕生日を誕生日カードの形で祝う。
文字を書けることで、気持ちが形になる。形になった気持ちはより強い。


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今、世界史の本を読んでいる。
この複雑怪奇であらゆる規則でがんじがらめにされた人間社会は、灌漑が必要な土地でも生きていけるように生み出されたものらしい。
どんな嫌なものも、意味不明なものも、誰かが学びによって現状を打破しようとした結果であるなら、同じ人間として、愛すべきものなのかもしれない。