きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

12月14日

過ぎ去ればこの悲しみも喜びもすべては冬の光、冬蜂
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』

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色々なことに一段落がついて、小休止、そんな日々です。
少し気持ちにも余裕が出来たのか、久しぶりに本をじっくり読んだり、短歌を詠んだりしている。
あとは、昔の日記やメモや詠草を、適当に書き散らしたノートを見返してみたり。
そういった日記、メモ書きも、余裕がない時の分はないから、見返していると、この時は結構たのしくやっていたんだな、とか、あぁこの空白の2ヶ月は何をやっていたんだっけな、とか、書いていないことまで思い出す。
やっぱり書き記すこと、は大事だと改めて思う。
不思議なことに、メモが多い時期が冬に集中している。
春から夏にかけての日記、メモはどの年も結構少なめ。何故だろう。
4月に1年が始まって、ようやく落ち着くのが秋、ゆっくり思考を始めるのが冬、だからだろうか。
それならば、今から始まる季節は、大事に過ごさないとなぁ。


そんな、こんな、で、人生で初めて買った歌集から、昔抜き書いていた一首を引用。
冬の蜂は、基本的には巣の中で仮死状態でいて、暖かい日は目を覚ましたりもするけれど、ふらふらとして飛ぶ姿は弱々しいらしい。冬の季語。
冬の光と冬の蜂。寒い日々にようやく指した弱々しい光と、半ば死んでいるけれど確実に今は生きている蜂。絶望の中希望のようで、希望すれすれの絶望のようでもある。表裏一体のふたつ。
悲しみも喜びも、過ぎてしまえば似たようなものかもしれない。
辛かったね、でもちょっと光っていたよね。そう言える未来を目指してこの一首を噛み締めます。
そんな冬の日の夜。