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きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

何のために物語を読むか

なかなか継続的にブログを書くことができていませんね…。
ブログは誰にでもできる”アウトプット”のよい手段。
アウトプットは練習して上手くなる技術だし、練習しなければいくら悩んでも上手くいきません。
ピアノもスポーツもやってみなければ始まらない。名人の書いた本を読んだって上手くなりはしない。
文章の書き方も、思考を整理して形にする方法もそれと同じ。
またしばらく意識的にブログを書いていこうと思います。




”読書”をどのように捉えるか、というのは私にとって長らく考えてきたことのひとつです。
私自身は幼いころから本が身近なものでしたし、現在も本を読む習慣があります。
新書やハウツー本、専門分野の専門書も読みますが、やはり好きな分野はフィクション。
最近は絵本も読むようになって、フィクションを読むということは生活の一部です。


けれど、本をほとんど読まない人は多い。
特にフィクションは「趣味」「暇つぶし」「読まなくても意味はない」、、、その程度の扱いをされているように思います。
そんな世論の影響もあり、教育の世界においても国語の授業の中のフィクションや文学の扱いは低くなっています。
国語の授業で年々重視されつつあるのは、話し方・聞き方・言葉の使い方・論文の書き方などの”すぐ使える実学
この方向性で良いのだろうか、フィクションは教育内容に値しない「趣味」なのか、フィクションを読むことが人に与える影響とは何なのか
これらの問いがもっと研究されるべきではないのだろうか、と思います。


読書教育を学ぶ人のために

読書教育を学ぶ人のために

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本は世界に開かれた小さな窓、「窓」も「鏡」も、自分を知り、世界を知るために、そして世界のなかでの自分の居場所を知るために必要なものです。それがあれば、人生を生きやすくなるー読書教育はそのことを支え励ますために必要なものです。


共感と解釈―続・臨床の現場から

共感と解釈―続・臨床の現場から

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患者の示す心的世界に共感することと、劇や絵画、音楽や文芸作品(の主題や主人公、ひいてはその作者の心的状況を、伝達し再生するまでに至る)に感銘したり感動したりすることは、本質的に差がないように思われる。


「読む力」はこうしてつける

「読む力」はこうしてつける

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そこに書かれている言葉や文章と、自分がすでにもっている知識や体験を組み合わせてイメージをつくり出すことを前提とした読むという行為をコミュニケーション媒体の一つであると考えると、イメージが描けるか否かで理解や楽しさの度合いはかなり違ったものになります。
「読む力」はこうしてつける

「読む力」はこうしてつける





自分の体験、自分の世界と、他人の世界を結び付けること
自分の世界のみでなく、他人の世界を通して世の中を見られるようになること
、、、このあたりにフィクションの役割があるのだろうか、と思いつつまだまだ模索中です。