きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

他者に対して出来ることは?

学習ってやっぱり個人個人のものであると思うんです。
授業の話をしていると頻発する「興味を持たせる」「動機づけをする」という言葉には、どこか違和感があって。
興味は勝手に湧いてくるもので、他者がどうこう出来るものじゃない。動機「づけ」も何か引っかかる。
じゃあ、他者たる教師に出来ることって何なのだろう?
全員が全員、学習に意欲を持って集っているわけではない教室で、教師はどういうスタンスでいると良いのだろう?


内田樹さんの『街場の教育論』の以下の言葉はひとつのヒント。
学習は個人個人のものだけど、今まで私は一人で学んできたか、というと絶対そんなことはない。
誰か、色々な人に影響を受け続けてきたのは間違いないのです。


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p40
「今ここにあるもの」とは違うものに繋がること。それが教育というもののいちばん重要な機能なのです。
p158
人間は自分が学びたいことしか学びません。自分が学べることしか学びません。自分が学びたいと思ったときにしか学びません。
ですから、教師の仕事は「学び」を起動させること、それだけです。「外部の知」に対する欲望を起動させること、それだけです。そのためには教師自身が、「外部の知」に対する烈しい欲望に現に灼かれていることが必要である。