きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

「在り方」の熟考を

わたしが中学生の頃から読み続けている『風光る』という少女漫画があります。
親の仇討ちをしたいがために性別を偽って新撰組に入隊した主人公が、沖田総司に恋に落ちていく…
という少女漫画らしい展開ながら、生死や信念についてもじっくり描いている、なかなか骨太な作品です。


この作品の冒頭のテーマは「何のために他人を殺すか」だとわたしは考えています。
主人公は「親の仇を殺したい」とそれは熱心に思い詰めるのですが、いざ当の仇を目の前にすると怖気づいてしまうんです。
彼にも妻子があること、彼自身の人生があることに、未だ憎いながら思い至ってしまうんですね。
それと同時に、今まではただただ憧れていた上司、沖田総司に対する疑念も深まります。
笑顔で他人を殺す沖田総司は鬼なのではないか、と。
その疑念と迷い故に脱隊を決意する主人公なのですが、懇意にしていた上司の「沖田総司は私のために剣を振るわない、故に常に笑顔を保てるのだ」という言葉から、仲間や信念を守るために殺人を行う沖田総司の姿に気がつき、無事帰隊を果たします。
主人公自身も、憧れ慕う沖田総司を守る、ということが自分が剣を振るう理由なのだと自覚するに至ります。……というエピソードが冒頭の2〜3巻を通して描かれています。


さて、殺人の罪の重さについては傍に置いておくと、このエピソードの主軸は「何のために他人を殺すか」です。
風光る』の新撰組の隊員たちは他人を殺すことの罪深さを嫌という程痛感しています。
そして主人公はそんな彼らの姿から、「何のために他人を殺すか」を常に念頭に置くことを学んでいきます。
中には己の志は殺人に値しないと逃げ行く者もいます。
信念のために自らの命を絶つに至る者もいます。


もちろん生命の尊重を第一とする現代の感覚から言えば、彼らの信念にのみ基づく生き方は狂気と言えるでしょう。
それでも、「他人を殺す」という行為の裏にある信念、つまり「在り方」を尊ぶ『風光る』の精神に学ぶものは大きいのだと思います。


キャリア教育の重要性が叫ばれ、若者の離職者の多さが嘆かれる、その裏には目的なく高校、大学へ生きながら「したいことなんてない」とため息をつく若者がいます。
そこには「何のために生きるか」がすっぽりと抜け落ちているように感じます。
もちろん、命を懸けられるほどの信念を持つ人は少なく、それが当たり前です。
マズローが提唱した「自己実現の欲求」を満たす前提条件には、「生命安全の欲求」や「承認の欲求」などがあります。
それでもなお、自らの「在り方」を熟考する大切さを、どこかで見直しても良いのかもしれません。

p187
「遠い空の上からだったら爆弾を落として殺せる。洋上の艦からだったら、いくらでも発射できる。しかし、お前らはこうして目と目が合うと駄目なんだ。人間愛が突然湧いてくるんだ。アメリカ人というのは、臆病者で偽善者だ」
梨木香歩『不思議な羅針盤

人に危害を加える危険性と同時に、その行為の裏にある「在り方」に注目すること。