きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

「先生、教えていい?」

小学6年生の算数。
今日もまるで言うことを聞かないA君。
「やりたくない」「もういいやー」だけならともかく、問題を解いている他の子に声を掛けて「無視すんなよー」とまで言い出したらさすがに黙ってはいられません。
…とはいうものの、今日はすでに2時間も算数をやっているこのクラス。
前の時間は厳しい先生だったということもあって、ものすごく疲弊しているのは目に見えています。
「疲れたのは分かるからちょっと休んでもいいけど、他の人の邪魔はしないでね」
とお茶を濁すものの、誰かに構われたい、という欲求もあるのでしょう。やっぱり黙ってもいられない様子。


どうしたもんかなぁといつも通り思案します。
今までの反省を踏まえて、今日どんな対応をしようか考えては行くものの、やっぱりその時の状況を見るまでは「良い手」なんて思いつかないものです。
良い教授法、クラス運営法、素晴らしい先生の実践報告……
それらに触れていくうちに分かってくることがあります。
それは、それらが万能でないこと。
どんな実践も方法も、その場の状況とクラスや先生のタイプによって良くも悪くもなる。
状況や己自身を見つめ判断できる力が肝なんでしょう。


そんなわけで良い案も浮かばないでいたら、一人の女の子が「先生、教えていい?」と声を上げました。
どうやらまるでやる気のないA君を見かねてどうにかしなきゃ、と思ったようです。
うーん、どうしようかなぁ、とはじめは思いました。
というものの、その女の子も中々騒がしい子で、勉強を放り出して遊びに転じる可能性が大いにあるのです。
でも、今日は問題が簡単だったのもあって、彼女は範囲は全て解き終えている。
A君への対応も万策尽き果てている。
…ということで彼女へ任せてみることにしました。
これがなかなか良かった。


女の子に「やるよ」「はい、これは?」「A君!」と追い立てられたA君はどうもやる気を出したようで、さっさと問題を解いてしまう。
教えていた女の子はホワイトボードを使って、普段は嫌がる図や表を書いて自分の計算ミスにも気付いたよう。
A君に邪魔されまくっていた男の子はじっくりと応用問題に集中。
手の空いた私は躓いている子に一対一で説明をすることが出来ました。
もちろん不安要素はあって、一斉授業ならあり得ない笑い声や話し声(雑談含む)に真面目な女の子はイライラしていたかもしれないなぁ。
それでも、状況が合えば「子ども同士で学ぶこと」はこんなにも効果がある、と実感することが出来ました。


以前同じクラスで「教えていいよ」と伝えた時、まるで学びが機能しなくなってしまったことがありました。
分かる人が極端に少ない状況で、「分からない」の感情の渦が学びを放棄してしまったのです。
結局、その場では雑談しか生まれませんでした。


教え合いも、子ども同士の学びも状況次第。
互いがライバルとして扱われる塾ではどちらかというと不向きなのかもしれません。
それでもトライアンドエラーが出来たことが今日の収穫!です!


もうひとつ。
「常道でないことをやろう」と思った時、様々な不安があります。
同じ職場の人に何を言われるだろう。
今日の範囲を終えられるだろうか。
保護者からクレームが来たらやばいなぁ。
でも、それらよりも大きな不安は、「子どもたちに失望されたらどうしよう」
子どもたちのために試行錯誤ながらやろうとしていることだから、対大人は実はあまり怖くない。
「こんなのダメだ」と言われたら、反発もできるし謝ることだってできる。
後からどうとでも繕えることなのです。
でも、目の前にいる子どもに「この先生、もうダメだ」と思われるかもしれないという恐怖はなかなか拭えない。
だから「先生ってこういうものでしょ」の殻を破るのが怖くて仕方がないのだなぁ。
その気付きも今日の収穫。
明日もがんばろう。