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きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

何の戦略も持たず挑んで玉砕した話

「すみません……算数の授業の進め方のことで相談があるのですが…」
「ああ、いいよー。だいたい10月が終わるまでには、この辺りまで進んで欲しいんだけど…」
「あ、いえ、そのことではなくて。前々からA君のことで悩んでいたのは既にお伝えしていたと思うのですが…。
やはり2学期に入ってからも授業になかなか集中できていなくて。
彼だけが集中できないのはまだ良いと思うのですが、他の子にちょっかいも出すのでどう対応したら良いかなぁと迷っていたんです。
そしたら、BさんがAくんと一緒に解こうと言ってくれたので、試しに一緒に解く時間、というのを設けてみたんです。」
「………」
「とすると、授業中に声を出す、ということになってしまっていて……」
「じゃあ個別に問題を解かしたらいいんじゃない?
クラスの人数も少ないし、机を全部離して、一人一人解かせてみたら?
先生の負担は増えるかもしれないけど。」
「そうですか……。みんなで相談しながら問題を解く形にすると、A君は比較的真面目に取り組んでいるのですが…。
やはり授業中に声を出すのはまずいですか?」
「そりゃまずいでしょ。受験も近いんだから、40-50分は集中できるようにしないと。」
「………そうですよね。」
「机離してやってみなよ。」
「…はい。そういうやり方にするとすると、解く問題は個人によって変えても良いですか?」
「あーそれはそうしたほうがいいかもね。Cさんとか、みんなと一緒じゃキツいでしょ。」
「はい。あと、Dさんはもう少し難しい問題にしたほうが良いかなぁと思っているのですが。」
「いや、彼女に必要なのは難易度よりも解く速さだと思う。タイマー渡して『何分で解け』って解かせるのがいいんじゃない?」
「はい。分かりました。」
「大丈夫?それでいけそう?」
「……とりあえずやってみようと思います。」


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学習の個別化・協同化を目指して取り組んでいた算数の授業。
「塾の社員の人に言っていない」という事実はとてもネックだと思っていました。
大人に説明できないことを、子どもにすることは出来ないという思いがありました。
でも、大人の習慣になっている一斉授業の形には常に疑問を持っていて、子どもが良いと感じるものは良いもの、という信念もありました。
それでもやっぱり社員の人に言おう、と思った契機になったのは先日参加した勉強会。
説明責任があるとは思っている、という私の言葉に深く頷きつつ、
「あなたの一言が塾を変えるかもしれないよ」
と言った人がいました。
私の基本的な生きるスタンスは「他人は他人、自分は自分」です。
多分今もその考えは変わりません。
他人の考えを変えたいともあまり思いません。傲慢だと思います。
でも、「あなたの一言が塾を変えるかもしれないよ」と言われた時、今いるこの場所に、何かちょっとでも変化を起こすことが出来たら、なんて素晴らしいだろうと思いました。
自分の学習のコントローラーを自分で持つこと(個別化)
集団の力を使って学習すること(協同化)
このふたつは十数年の自らの学生生活の中でも有効であると感じた考え方であり、
教育の勉強をする中で、これからの時代はこの考え方に則っていくべきだと思ったものでもあります。
それが絶対に間違いのない考え方であるとは思いません。
でも、「これでいきたい」と強く思った一個人として、隠れて実践するのではなく、表に出してみようと思いました。
「こういう考え方をする人がいる」と知ってもらうだけでも、小さな変化を作れるのではないかと思いました。
だから、「社員に実践報告をする」というチャレンジをしました。


なのに!!
読んでもらえば分かるように、信念に関わることを、まるで言うことが出来なかった。
まるでA君を真面目に勉強させるために教え合いをさせているのだ、という風にしか言うことが出来なかったのです。
それは、そういう話の進め方が一番風当りが少ないから。(もちろん事実だから、というのもありますが)
「そういう信念は塾には通用しない」
「受験勉強に即したものではない」
そういう反論を端から想像してしまった。
受験勉強としても(この時期ならば)有効な方法だと考えていたのに、それも言えなかった。
40-50分集中する力をつけなければいけない、というのは同感で、その力は小テストをまとめて課すことで付けようとしていたことも言えなかった。
何の戦略も持たずチャレンジしに行って、見事に玉砕。
「周りの大人は頭が固くて……」なんて話はよく聞くけれど、この事例で足りなかったのは明らかに私のほう。
その事実にものすごくものすごく腹が立つ!!


……と数日、腸が煮えくりかえっていたのですが、こうやって書き起こしてみると会話をしてみたことで良いこともありました。
まずは個別化が公式に認められたこと。
これで一斉授業(分からない子は聞いていても分からない、分かる子はずーっと暇!)をやらなくてよくなった。
もう一つは個人に合わせた進度を組めるようになったこと。
今までは同じ課題を個別化・協同化で解く形だったけれど、個人にあった課題をそれぞれと相談して組めるようになった。これはデカい!
一番欲しいものは得られなかったけれど、思いもよらずアイテムを得たかんじ。
やっぱりチャレンジってしてみるもんだ。


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急に「声出すの禁止!」って言ったら子どもたち、大混乱だから段階的にやっていこう。
と思っているあたり、まだ私の中の「他人は他人、自分は自分」は抜けていない。抜くべきだとも思っていない。
でも、こうやって思いもかけないアイテムを得られたのは、他者の考えを聞いたから。
子どもと一緒に何をするか、と大人と一緒に何をするか、は教育の両輪だと考えています。
全部一人でやるほうが、より理想には近いかもしれない。
でも理想をちょっと緩めるかわりに、自分にないものを得られる。もっと良い所に行けるかもしれない。
それが「共同」の本質なのかもしれません。