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きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

ベターな選択

最近、ボランティア先の小学校での振る舞いが盾についてきたなぁと思う。
ようやく!?というかんじではあるけれど…。
わたしは今、「わたし」として振る舞っている。
ほぼ嘘偽りのない「わたし」として。


例えば音楽の授業。
子どもたちは先生の話の最中にお喋りしてばかりだけど、ピアノが鳴ったら歌うし、リコーダーも吹く。
わたしは音楽の授業ってそれでいいんじゃないのかなぁ、と思ってる。
音楽をすることはすごく楽しい。
フワフワと楽しいなぁ~って思えれば音楽の授業は成功なのではないかと思う。
ピシッと立って歌うことが大事なんじゃない。向上心を持ってリコーダーの技術を上げることが大事なんじゃない。
だから、先生が話している最中のお喋りを、わたしはもう注意しない。
でも、わたしは大人だから、音楽の先生の気持ちだってなんとなく感じてしまう。
「いまはそんなに聞いてもらわなくていいや」と思っているんだろうなぁって時と、「ここはしっかりしたい」(授業の開始と終わりとか)と思っているんだろうなぁって時をわたしは感じている。
だから後者の時は、子どもに「先生、聞いて欲しいみたいだよ」と言う。
それでお喋りが止む時も止まない時もあるけど、わたしは音楽の先生の話をじっくり聞くようにする。


例えば、子どもとの距離の取り方。
全体を俯瞰できるようになりたいと思って、距離を広めに取っていた時期があった。
「先生、〇〇教えて」と言われても「友達に聞いてごらん」と言ってみたり。
でも、今現在、関わっている子どもたちにとってベターな振る舞いって違うのかもしれない。もっと、「こういう大人もいるんだ~」って大人の多様性を感じてもらうぐらい、がっつり関わるほうが彼らにとってプラスなのではないか…最近そんなふうに思う。
今日「〇〇教えて」と言われた時は、「友達に聞いてみない?」と誘ってみた。
「だれに聞けばいいの?」と言われたから「△△は暇そうだねぇ」「◻︎◻︎は同じことやってるよ」とまわりの状況をアドバイス
そうしたらすっと聞きに行っていた。そっか、彼女はだれに聞きにいけば良いのか分からなかったのか。


それでもやっぱり、何がベストかなんてわからない。
わたしの取った行動より、もっとよい行動があつたかもしれないし、なかったかもしれない。
だからもうベストには拘らない。わたしなりの、その場で思いつく限りのベターな行動を繰り返していく。