きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

ちいさな変化を

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茶碗を買った。
たまたま出会った場でたのしく過ごせて、たまたま出会ったひとが自分がつくった陶器のよさを嬉しそうに話してくれたから「買おう」と思った。


「陶器は吸収性があるからすぐに洗ってくださいね」
と言われて、洗い物を溜めるのをやめた。
大事にしたいものを持つということは、自分のなかにちっちゃな変化を生み出すことなのだなぁ。

なんでもない毎日を

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今「生活を整える」ということを意識的にしている。
ごはんを作ること、美味しいなぁと思って食べること、床を拭いたりすること、道端の花に目をとめること、ていねいにコーヒーを淹れること、山が日ごとに違う姿を見せることに気づくこと。
いま起きている一瞬一瞬をしっかりと感じること。
そうしていると「あぁ今、生きてるなぁ」と思ったりする。
生きとし生けるものに思わず感謝したりする。


川上未映子さんの
「こう、なんてゆうの、人生を生きることはすんごい特殊なことではあるけれども、一方、実は、この人生、そんな大したことでもなんでもないのかも知れないとゆう姿勢をね、『かも知れない』とゆうこの姿勢をね、ちゃんと持っておきたいのだなあ。」
というエッセイのことばが心に残っていて、結局のところ愛おしいのは人生の「なんでもない」部分なのだなぁと思う。
人間がつくった文明の利器に乗って毎週末地元へ帰る。遠い距離を縮めてしまうスゴイ機械。
毎日のお仕事では人に何を教えるか、なんて大層なことを考えたりしてる。
でも、わたしの人生の大部分はごはんを食べたり、風景を見たり、大昔から人がやってきたなんでもないことでできている。
そんななんでもないことが、一番だいじだなぁとか思ったりするのだ。

ふりかえり

p54
教えるということは、心が開かれており、正直であること、そして興奮や向学心を共有できることを意味します。
(略)
とても単純なのです。生徒たちは宇宙人ではありません。彼らは、美しさとパターンに反応し、誰もが好奇心をもっています。話してみればいいのです。そして、より大事なのは、彼らが言っていることに耳を傾けることです。
ポール・ロックハート『算数・数学はアートだ!』



ふりかえりは大事。
「早いうちに睨みをきかせておいたほうがいい」とアドバイスされた。
「先生、うちのクラスの子どんどん怒っていいからね」ってやさしく言われた。
職員室で交わされる「〇〇は相変わらず人の話聞けないよ〜」なんて話に頷いたりしちゃってる。


職員室の日常に、先生の日常に溶け込もうとしてる。
もちろん早く慣れたいなぁとは思ってる。
でも、ほんとうにそれでよかった?
そういうふうに子どもと関わりたかったのだった?
今、すごく不安。だから先生の日常を取り込もうとしてる。たぶん先生の日常だって間違ってるわけじゃないんだ。
でも、それはほんとうにわたしにとって気持ちのよいものなのか。在りたい在り方なのか。
そういうことを、ていねいに淹れたコーヒーを飲みながらふりかえりたい。

未来のわたしのために書く

最近のブログはどうもウェットだ。
うつりかわりの時期だから、仕方ないのかもしれないけれど。


3月が静かに終わろうとしている。
砂時計のさいごの一粒を数えるような毎日を過ごしている。毎日がたのしいし毎日がさびしい。
笹井宏之さんの「終止符を打ちましょう そう、ゆっくりとゆめのすべてを消さないように」って短歌が似合うような日々。
結局のところ、わたしは今までがほんとうに大事で、そんな日常のひとつひとつに終止符を打つのが悲しくて、先のことなんて考えられなかった。
たぶん「準備をするのが苦手」なんて言い訳で、ただただ今までにお別れすることから目を背けていたのだと思う。


暇な時間ができるとソワソワして何も手につかない。
そんな時は動くといいよって未来のわたしのために書く。
このあいだ偶然空いた時間が怖くて、9kmを歩き続けた。
どこかへむかって歩いていると、不思議と思わぬところから良い風が吹いてくる。そんな経験がこの2〜3年に何度かあった。
家で泣きたくなったらどこか遠いところへ歩いてみようと思う。
未来は手繰り寄せるものであるかもしれないけれど、吹いてくるものかもしれない。
そんなふうに今、思います。

ていねいに

p56
仕事の内容はあらかじめ決まっていても、それを「どうやるか」は自分で考えることができるし、やることができる。(略)
クリエイティビティとは仕事の内容より、むしろやり方や、それに対する姿勢。ひいてはあり方に関するものだと思う。
西村佳哲『自分をいかして生きる』



ていねいにお仕事したいなぁ。
「仕事」はお金をもらうこと、という意味合いではなくて。
青木将之さんが著書で紹介していた、利休七則はどんなことにも当てはまるのだろうな。

茶は服のよきように点て
炭は湯の沸くように置き
花は野にあるように
夏は涼しく冬暖かに
刻限は早めに
降らずとも傘の用意
相客に心せよ

ていねいに向こう側にいる人のことを思いたい。
ていねいに沢山の準備をしたい。
ていねいに今を感じたい。
今できるすべてを、ていねいに。

こういう一日

「ひとを傷つけないようにしようとするのは傲慢」だとあるひとが言っていた。


わたしは何故かささくれ立っていて、今までとこれからを比較してはこれからが不安で仕方なくて、そんな気持ちで横断歩道の前に立っていた。
車が主体の土地だからなのか、右折車はわたしを無視して何台も走っていく。
わたしはとても傷ついていた。
なんで止まってくれないのだろう。このままだと信号が赤になってしまう。都会だったらこんなこと、あり得ないのに。
そんなとき、「ひとを傷つけないようにしようとするのは傲慢」という言葉を思い出した。
右折した車に乗っていた人たちは、自分の行動がわたしを傷つけたことなど思いもよらないだろう。
わたしだって、こんな気分でなければ傷ついたりしない。
わたしの受けた傷の責任のすべてが車に乗ったひとたちにあるなんて思ってない。
でも彼らの行動をきっかけとしてわたしが傷ついたのも事実。
こんなふうにひとは簡単にひとを傷つけられるのだと思った。


たまたま一台の車が止まってくれた。
わたしは一礼して走って横断歩道を渡った。
ひとが簡単に誰かを傷つけられるように、こんなにも簡単に誰かを救えるのだと思った。
そんな一日。