きょうも一日が終わる

きれいなものをきれいな文章で切り取りたい。

20170707

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私は焼き芋ができるのをひたすら待っていたのだが、ほんとうに待っているものは焼き芋ではないという感じがしていた。区切りを待っていたのだ。先を急いでいたのだ。もっと見たい、どうなるの、火はどうやっておさまるの。また暗くなったら急に木々の音が聞こえだすの?
「なにもないところから、火を起こして、それが燃えさかり、消えていくだろう。そして炭や灰になる。なににおきかえてもみんな同じ過程だ。その全部をなるべくねばれ。先を見たい気持ちでのめるな。ねばって一歩でも遅くためていくんだ。」
おじいちゃんは言った。
よしもとばなな『スウィート・ヒアアフター


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あっという間の7月。
何もかもが色褪せて見える日々の中で、毎日プランターの植物が大きくなること、緑の匂いと色がいつもそばにあること、音楽はいつも美しく響くことが生きる糧になっている。
おかしな話だと思う。人はいつも優しいし、その優しさに気づいているのに感謝できない。
子どもは毎日新たな気づきを得ているのに、そのことを喜べない。
そんな日々なのに自然のことはいつも新鮮だし嬉しい。


笹井宏之さんの短歌に、
野菜売るおばさんが「意味いらんかねぇ、いらんよねぇ」と畑へ帰る
っていうのがあったなぁ。
意味を捨てて生活がしたい。仕事がしたい。
はたらく意味、生きる意味、意味の蟻地獄に嵌まっているからこんなに苦しいんではないかしらね。